【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】矢野監督に提案あり、師と仰ぐ野村さんの『ノムラの考え』をロッカーに - SANSPO.COM(サンスポ)

【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】矢野監督に提案あり、師と仰ぐ野村さんの『ノムラの考え』をロッカーに

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阪神監督時代のノムさん(左)と矢野監督=2000年  阪神・矢野燿大監督(51)殿、実現可能なら『ノムラの考え』教本を選手ロッカーに配布し、任意で読んでもらったらどうでしょう。南海、ヤクルト、阪神、楽天で指揮を執った名将・野村克也氏が11日未明、東京都内の自宅で逝去。享年84歳でした。阪神球団並びに矢野監督は球団ホームページで哀悼の意を表していますが、矢野監督自身が「監督という立場にならせていただいているのは野村監督に教えていただいたことがあってこそ」と話す、『ノムラの考え』の教本は球団内に存在するはずです。人生とは…から始まり、野球を深く分析した至極の教科書を選手たちにも読んでいただきたいですね。

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 阪神の春季キャンプは中盤に差し掛かり…なんて原稿を書くつもりでした。10日の夜までは…。 「野村監督が死んだみたいよ」 

 11日の午前、家で別の原稿を執筆中に家内がネットの速報を見て、大きな声を上げました。

 えっ! ノムさんが死んだ!

 都内の自宅のお風呂で意識がなく…。享年は84歳だった…。次々と情報が入ってくるのですが、頭の中の混乱は収まらずに、もう20年前の出来事が走馬灯のようにグルグルと…。

 ノムさんには持論がありました。「鶴亀理論」というヤツです。

 いわく「鶴は千年、亀は万年生きるというやろ。鶴のように動きまわっているヤツは早く死ぬ。ワシのように亀のようにジッとして動かない人間は長生きするんや。そやからワシは一切、ランニングやウォーキングなんかはしないのや。お前らも長生きしたかったらジッとして動くな(笑)」。

 いつの間にかノムラ語録が頭の中に刷り込まれていて、ノムさんは百歳ぐらいまで生きているんだろうなぁ…と思い込んでいたのです。だから、ノムさんが84歳といっても「死」という言葉がピンと来なかったのです。

 しかし、沙知代夫人(別称・サッチー)が2017年12月8日に逝去してから全く元気がなかった、とも聞いていました。いつも自宅でご飯を食べる時もサッチーの遺影を前にして食べている…という話も聞いていました。サッチーがいないこの世で孤独と闘っている様子が伝わってきていました。今頃、あの世で2人仲良く、大好きなフカヒレのスープでも飲んでいるのでしょうか。何かをボヤキながら…。

 話を阪神に戻しましょう。野村克也さんが逝去され、阪神球団はすぐに球団ホームページで哀悼の意を表しています。矢野監督が現役時代、中日から阪神に移籍してきたのが1998年でした。翌年の99年から3シーズン、矢野監督は野村阪神の正妻を務めたわけですが、当時の教えの数々に感謝の意を示していますね。ホームページから抜粋します。

 「急なことでとても驚いています。巧い者がレギュラーになり結果を残すのではなく、頭で考えてやっていけば、そのような選手たちに追いつけるんだということを教えていただいたのは野村監督でした。僕もそのおかげで自分が思っているよりいい野球人生を歩ませていただきましたし、今もこうやって監督という立場にならせていただいているのも野村監督に教えていただいたことがあってこそなので、本当に愁いしかないです。

 頭で考えてやっていけば、強い相手にも勝つことができるし、自分の目指すところに行けるということを教えていただいたので、それを選手に伝えながらやっていきたいと思います」

 プレーイングマネジャーだった南海でリーグ優勝1回、ヤクルトでリーグ優勝4回、日本一3回を成し遂げた名将はチーム再建を託され、98年オフに阪神監督に就任しました。当時の正妻・矢野との関係では忘れられない話があります。監督初年度の99年のオープン戦で野村監督は定詰捕手を主に使い、矢野捕手をあまり起用しませんでしたね。前年に中日からトレードで移籍していた矢野は吉田前監督には正捕手として起用されていました。なので「前任者否定」の采配でもするのか? と思い、疑問をぶつけた記憶があります。

 「どうして矢野を主に起用しないのですか」

 「定詰を起用? フン…。矢野がどう思うかがミソや。クソっと思えばしめたものや。もっと闘争心を出して、レギュラーを奪われるものか、となればそれでええのや」

 つまりシーズン開幕から捕手は矢野でいく…と最初から決めていましたね。ただ、前年52勝83敗で最下位に低迷していたチームの正捕手にはもっと高い闘争心や探究心を持たせたかったようですね。それで、わざと控え捕手をオープン戦では重宝しているように見せかけたのです。手が込んだ芝居です。それがノムさんという指揮官の手練手管だったのです。

 結局、野村阪神では矢野がスクスクと捕手として、打者として成長を遂げていきました。それが2002年からの星野阪神で花開き、2003年のリーグ優勝に結び付いたのです。それから矢野自身も様々な研鑽(けんさん)を積んで阪神に指導者として復帰。1軍コーチ、2軍監督を経て、昨季から34代阪神監督に就任しましたね。今季が2年目です。

 なので、矢野監督は野村克也氏に感謝の気持ちを表しているのです。野球人生の大きな岐路となったのが、ノムさんとの出会いだった…と。

 そうした経緯を踏まえて、少しだけ要望があるのです。当時の矢野が、和田豊が、藪が、新庄や桧山が春季キャンプのミーティングで使った『ノムラの考え』教本の再活用をお願いしたいのですね。何も強制的に選手に読め! なんて言いません。例えば1・2軍の選手ロッカーに置いておけばいいのです。気が向いた選手が目を通せばそれでOKです。好きな箇所を拾い読みしてもいいでしょう。それぞれの野球人生、いや人生そのものへの教科書となるはずです。

 実は1999年の春に一冊、入手しました。ページをめくるまでは捕手のリードとは? とかベンチの采配や戦術がびっしりと書かれているとばかり思っていました。ところが、最初から目に飛び込んできたのは「人が生きるということはどういうことか…」がつずられていました。

 野球人生は短い。その後の人生の方がはるかに長い。社会人として正しく生きるためにはどのようなことに注意し、どのような姿勢であればいいのか。などなどがこんこんと書かれていました。

 もちろん、配球やフォーメーションなどの野球に関する深い分析も詰まった一冊です。今の選手たちが読んでも大いに参考になるはずですね。

 矢野監督自身が自らの野球人生の師と仰ぐのなら、どうでしょうか。もしよかったら『ノムラの考え』を選手に配布するのも大いにアリだと思いますが…。ノムさんの深い人生論や野球哲学に触れるだけでも選手個々の将来に役立つと思います。なんなら私の手元にある一冊をお貸ししてもいいですよ。ご一考をお願いいたします。(日曜掲載)

植村 徹也(うえむら てつや)

1990(平成2)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。ラジオ大阪(OBC)の金曜日、午後10時から「NEWS TONIGHT いいおとな」『今日のトラコーナー』」や土曜日午後7時40分からの「まさとと越後屋のスポーツ捕物帖」に出演中。「サンスポ・コースNAVI!」ではゴルフ場紹介を掲載、デジタルでも好評配信中。

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