ヤクルト、ノムさんの追悼試合を3・22開催 全員「73」ユニ - SANSPO.COM(サンスポ)

ヤクルト、ノムさんの追悼試合を3・22開催 全員「73」ユニ

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日本シリーズを制した1995年当時の野村さん(右はオマリー)。追悼試合ではチーム全員が背番号73を着ける  ヤクルトが虚血性心不全で11日に死去した野村克也元監督(享年84)の追悼試合を、今季の開幕3戦目となる3月22日の阪神戦(神宮)で開催することが14日、明らかになった。1990-98年の監督時代に背負った「73番」のユニホームを首脳陣と全選手が着用することが検討されている。野村さんは対戦相手の阪神でも3年間指揮しており、球界に多大な功績を残した名将に両軍が哀悼の意を示す。

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 背番号「73」のユニホームに、感謝の思いを込める。ヤクルトが開幕3戦目となる3月22日の阪神戦(神宮)を、野村克也さんの追悼試合として開催することが分かった。

 「ヤクルトを抜きにして、野村克也の野球人生は語れない。神宮球場に足を向けて寝られない」

 生前の野村さんは常々、1990年から9年間指揮を執り、4度のリーグ優勝、3度の日本一など黄金時代を築いたチームへの愛情を口にしていた。11日に死去し、息子の克則氏(楽天作戦コーチ)ら遺族の手で着替えたのも、スワローズ時代のユニホームだった。

 追悼試合ではチームの首脳陣と全選手が背番号「73」のユニホームを着用してゲームに臨むことが検討されている。昨年7月11日のOB戦では古田敦也、池山隆寛(現2軍監督)、真中満(サンケイスポーツ専属評論家)らに支えられながらバッターボックスに立ったノムさんの闘志が神宮球場によみがえる。対戦相手となる阪神でも、99年から3年間監督を務めており、楽天時代も含めて歴代5位の通算1565勝を挙げた名将に両軍が哀悼の意を込める。

 球団はこの日、15、16日に本拠地の神宮球場、1軍キャンプ地のANA BALL PARK浦添(沖縄・浦添市)、2軍キャンプ地の西都原運動公園野球場(宮崎・西都市)の3球場に献花台を設置すると発表した(午前10時~午後4時まで受付)。15日は楽天との練習試合(金武)で喪章を付ける。

 12日に一時帰京し、東京・世田谷区の自宅を弔問した高津監督は当時の守護神。「ヤクルトには素晴らしい伝統がある。僕は厳しさの中で伸び伸びと野球を楽しませてもらった。必ずどこかで見てくれている。恥ずかしくない野球をしたい」と決意を口にした。

 1月20日に行われた球団OB会に初出席した野村さんは「6球団に飛びぬけたチームはない。ちょっと頭をひねって上手にやれば、優勝できる」とエールを送っていた。狙うは2015年以来、5年ぶりのリーグV。日本球界に多くの人材を輩出した名将が天国に旅立ち、ヤクルトにとっては特別なシーズンが始まる。

★元監督の主な追悼試合

 ◆仰木彬(2006年、通算988勝) 近鉄、オリックスを率いた名将が05年12月15日に死去。オリックスは3月4日の阪神、11日の巨人(いずれも当時大阪ドーム)とのオープン戦で追悼試合を行った。

 ◆上田利治(17年、通算1322勝) 阪急(現オリックス)を3年連続日本一に導いた指揮官が7月1日に死去。同7日にオリックスがロッテ戦(ほっと神戸)で半旗を掲げ、試合前にセレモニー。5年間監督を務めた日本ハムも同2日に喪章をつけ、追悼した。

 ◆星野仙一(18年、通算1181勝) 1月4日に死去し、かつて指揮を執った球団が実施。オープン戦の3月3日の中日-楽天(ナゴヤドーム)、同10日の阪神-中日(甲子園)で、中日は胸に監督時代の「77」、背中に選手時代の「20」をつけ悼んだ。阪神も背番号「77」でプレー。

★近親者のみで葬儀

 虚血性心不全で11日に急逝したサンケイスポーツ専属評論家、野村克也さん(享年84)の葬儀が14日、近親者のみで営まれ、荼毘(だび)に付された。

 本葬儀は3月16日正午、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。一般会葬者は午後2時から。喪主は息子の克則(かつのり)氏。

野村 克也(のむら・かつや)

 1935(昭和10)年6月29日生まれ。京都府出身。京都・峰山高から54年にテスト生で南海(現ソフトバンク)入団。65年に三冠王。70年に兼任監督となり、73年に優勝。80年に45歳で現役を引退し、通算3017試合で打率.277、2901安打、657本塁打、1988打点。90年にヤクルト監督となり優勝4度、日本一3度。99年から2001年まで阪神監督。社会人のシダックス監督を経て06年から09年まで楽天監督を務めた。監督通算1565勝1563敗76分け。89年に野球殿堂入り。右投げ右打ち。

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