【虎のソナタ】それぞれの胸の中に、それぞれの「1・17」 - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】それぞれの胸の中に、それぞれの「1・17」

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「1・17」を前に宝塚市湯本町の武庫川中州では「生」の石積みオブジェがライトアップされた  あの瞬間が「午前5時46分」だったことは、かなり時が流れてから知った。そもそも、大阪市内の自宅で激震の直後に慌ててテレビのスイッチをオンにしたら「震源地は東海方面の模様」という大誤報が流れていたくらい。ライフラインがストップし、連絡手段を失った本当の震源地・神戸方面の情報は全く入ってこなかったからだろう。

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 やがて被災現場の惨状が画面に映し出される。電車、バスがすべてストップ。これはヤバイ…。虎番記者として、行く場所は1つ。仕事を終えようとしていたタクシーに強引に乗り込み、「甲子園へ行って」-。

 嫌がる運転手を説得しながら、窓外の景色に衝撃を受けた。倒壊した自宅の横で、茫然と立ち尽くす人、人、人…。国道43号線の路上には、真上を走る高速道路を支えるはずのコンクリート片が次々と落下してくる。慌てて避けるタクシーの動きがテレビゲームのように思えて。すみません、不謹慎で。何もかもが目の前で壊れていく光景は、とても現実とは思えなかった。

 1つの覚悟をしたことを記憶している。

 「甲子園、ぶっ壊れているんだろうなぁ。このあたりで一番古い建物だもん」

 だが、タイガースの本拠地は堂々とその姿を変えていなかった。

 これがちょうど四半世紀前の1月17日の記憶。甲子園の偉大さを最も感じたのは、あの日かもしれない。大震災に負けなかったんだから。

 総括席の局次長・稲見誠は当時、相撲担当。若貴フィーバーの真っただ中にいた男は、初場所取材で東京へ出張中だった。激しい揺れは直接は経験していない。東大阪市の自宅からの電話で惨状を知り、毎日打ち合わせで話すデスクが被災地から自転車通勤している話を聞き、心を痛めた。

 「星野仙一さんはあの当時、評論家として名古屋に住んでいて、西宮在住だった盟友の島野育夫さん(当時中日2軍監督)のためにと、トラック1台分の水、食料を送ったそうです」

 気配りの人だった闘将らしさが垣間見えるエピソード。ただ、市役所に通行証を用意してもらって送ったため、島野家の付近の方々が市役所からの配給と勘違いして…という話も後に聞かされたそうだ。

 阪神キャップ大石豊佳はまだ静岡・藤枝の小学3年生。「本当に申し訳ないですが、いつも見ているテレビ番組が震災を報じる特番になってしまって、不満でした」。それは仕方ない。子供なんだから。ただし、大石の記憶によると、南海トラフ地震への対応として、以降は静岡でも校舎の補強が年々強化され、震災に対する意識は嫌が上でも高まっているという。

 それぞれの胸の中に、それぞれの「1・17」の記憶があるだろう。それでいい。みんながそろって暗くなる必要もない。個々の記憶があれば風化することもない。

 当番デスク阿部祐亮が選手名鑑を手にしながらつぶやいた。

 「震源地の淡路島生まれの近本なんて、生まれて2カ月あまり。でも、いろんな話は周囲の方から聞かされて育ったでしょうね」

 目を覆う被害を受けた地に育った命が、いまやタイガースを支え、ファンを熱狂させる象徴になりつつある。震災を乗り越えた証が1つ-。あの日からちょうど25年目の1月17日です。

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