【虎のソナタ】藤村富美男も虜にしたアーチスト田淵 - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】藤村富美男も虜にしたアーチスト田淵

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1974年の大洋戦で勝利して握手する田淵氏(左)と江夏氏。黄金バッテリーを組んだ  とうとう…というべきか。やれやれ、やっと…なのか…。

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 このコラムでも何度も書いたが、野球殿堂入りを果たした田淵幸一氏が泣く泣く巨人への未練を断ち、阪神に入団した。

 プロ1年目(1969年)の春先、阪神が甲子園で試合のあるときには練習の始まるころに決まって一人の少しガシッとした体を窮屈そうに背広につつんで背中を丸くしたおじさんが三塁側のアルプスと内野席の真ん中の通路の部分からノコノコと入ってきて…フェンスにもたれかかるようにソッとチームの打撃練習を眺めていた。

 そう…その名前を3度手のひらに書いてペロリとなめるとたちどころに風邪が治る(そんなことはないけど…)とまでいわれた初代ミスタータイガース藤村富美男さんだ。その時は大阪の水道工事会社に勤めるレッキとしたサラリーマンだけど、その顔を一目みれば誰だってわかる。

 筆者はまだ駆け出しの嘴の黄色いピヨピヨ虎番だったが、いまなら最近関西空港からトランクに隠れて消えた…あの話題の方にちょっと似ている太いマユだから、阪神ファンなら誰だって知っている方なのだ。

 その貫禄十分の方がグラウンドのそんな片隅から遠慮がちに新人田淵幸一の打撃練習を実にうれしそうに見つめているのだ。

 「何もそんなところで御覧にならなくても…」とかけていって、その猛虎と呼ばれ、アノ巨人軍の選手でさえ甲子園の通路では道を譲ったというほどの存在感がある方だからそう声をかけた。すると彼はゾクリとこういった。

 「いや、俺はここであいつを見たいんだョ」

 それが田淵幸一だった。いまだに「史上最高に美しいホームランを打つために生まれてきた男」といわれるが、その“虹のような滞空時間のながいアーチ”が左翼席の中段の無人のスタンドに乾いた音を立てる度に藤村さんはホントにうれしそうにジッとみつめてシミジミといった。

 「俺なんかあんなとこまで飛ばしたことはなかったんだョ!」。それほどほれぼれとしていつまでも見つめていた。その横顔には“これでタイガースは大丈夫だ…”と書いてあるんじゃないか…とさえ思った。

 実は法大時代に長嶋茂雄さんの8号を抜くまで田淵は2年の秋から翌年の春まで239日間かかった。はれ物にさわるように記者たちは田淵に気を使ったが実は彼も人の子だ。しかし…彼は「239日間です。試合としては22試合目です」とあっけらかんと繰り返してみせた。逆に周囲を心配させまいとして…そう明るくふるまっていたのである。

 のちに90年から新生ダイエーの監督を3年間務めた時、新人監督の時に春のキャンプでソッと田淵監督の部屋をたずねた。監督室は実に整然と掃除がいきとどいており、高級な洋酒がズラリ…つまり彼は大いに選手たちと飲み、語り、胸襟を開こうとしたのだ。実に生真面目な彼の“一直線”がのぞいていて思わず筆者は胸がつまったのを記憶する。上司のソレは息がつまるのだが…。

 一途なのだ。

 しかし、その気持ちが“空転”していた…。

 阪神で22本塁打で新人王になって2年目…田淵はそれでも打席ごとに一度バットを地面において拾い上げてから「打席」に立ち構える。なぜだときいたら当時の打撃コーチ藤井勇氏が「バットの握りからの原点」を諭したからだ。それをあれだけのスターが黙々と忠実にキチンと守っていた。こんなピュアなヒーローをみたことない。

 本日のサンスポは『田淵クンのソナタ』になった。これだけのスターはもう出てこないだろう。だけど実は彼は基本を愚直に貫き、それゆえに“翻弄”され、すこしもひるむことはなかった。

 そりゃモテるはずだヮ…ありがとうタブチ君!

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