広島・永川が引退登板を前に会見「いろいろと限界を感じた」 - SANSPO.COM(サンスポ)

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広島・永川が引退登板を前に会見「いろいろと限界を感じた」

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引退会見する広島・永川=マツダスタジアム(撮影・加藤孝規)  広島・永川勝浩投手(38)が23日、広島市南区のマツダスタジアムで引退会見に臨んだ。地元広島出身の右腕は球団最多の通算165セーブを記録するなど526試合に登板して、38勝42敗、79ホールド、防御率3・47。この日の中日戦(同)に先発として打者1人限定で引退登板する。

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 --ファンへの引退報告をお願いします

 永川「広島東洋カープで17年、大学卒業して野球をやってきました。今年で引退し、区切りをつけたいと思います。今まで応援ありがとうございました」

 --引退を意識したのは

 「ここ数年はけがもあって、なかなかいい成績を残せなかった。そういうところで、いろいろと考えるところがありました」

 --決心は

 「今年に入ってトレーニングをしても体のどこかが痛くなったり、練習で良いパフォーマンスが出ても、試合で出せなかった。そういうところを総合して心が折れたというところです」

 --今までは困難を乗り越えてきたが

 「若い子ががんばっているなかで、自分がそれと同等以上のボールを投げられなくなって、当然自分で考えないといけない。体のことを考えながら、いろいろと限界を感じました」

 --引退を報告したときの家族の反応は

 「家族には7月ちょっと前、6月半ばに伝えました。反応は大した感じではなかったです。普通にいいんじゃない、という感じでした。僕自身もやりきったという感じはありました」

 --現役生活で一番の思い出は

 「いい思い出は1年目から山本浩二監督に抑えを任せていただいて、そういう道をつくっていただいたこと。この17年は最初にそういうスタートがあったからだと思う。感謝をしているし、いい思い出だった」

 --広島出身でカープに入団。元エースの北別府氏の背番号「20」をつけてプレーをした

 「広島で生まれて、広島で育ってきた。広島東洋カープに誘っていただいて、ものすごくうれしい。広島に帰って、故郷でプレーできるのはすごくいいものという気持ちがあった。広島に愛着があります」

 --球団最多の通算165セーブを記録。抑えの苦労は

 「僕の場合は何回も失敗を繰り返しながら、いろいろな方に迷惑をかけながら、助けられながらやってきた。そういう意味では抑えの難しさは感じなかった。ここ何年かはどうやったら迷惑をかけないかを考えていた。抑えという職にはそこまで難しさは感じなかったですね」

 --近年はモデルチェンジを繰り返した。心境の変化は

 「いろいろ試行錯誤しながら、コーチ、トレーナー、ときには後輩であったりですね。そういった方々に支えられていろいろトライをしたけど、やっぱりプロの世界は簡単なものじゃないと最後の方でつくづくと感じました」 

 --変化をしたのはなぜ

 「昔は結果もそこそこ出ていましたし、変化をしなくてもというところはあったと思います。本当にすぐに調子に乗る性格であり、何でも簡単にできると思ってしまう性格なので。ここ数年でいろんな意味で大人にさせてもらったし、広島東洋カープに最後まで育ててもらったおかげで今の自分がある。若い子には変化をしないといけないと伝えていきたいですね」

 --2017年9月には左膝のクリーニング手術をした

 「手術してまで契約してもらえるとは思っていなかった。手術したからこそ昨年があった。そういう意味ではいろんな人に支えられた。感謝するのは誰でもできるけど、いろいろな人に感謝したい」

 --翌18年にはセ・リーグ3連覇に貢献。優勝旅行に参加

 「3連覇しているなかで最初の連覇はほぼ結果を出すことができなかった。昨年もそこまで出すことができなかった。最後に連れて行っていただいて、僕だけじゃなくて家族もすごく喜んでいました。昨年の復帰登板だったり、いろいろ印象に残っている。周りがすごくて、僕が若い頃より大人な選手が多くなったなと思いました」

 --今と昔で変わった

 「昔に比べたら本当に変わったと思う。変わらせてもらいましたね。周りの人に」

 --同僚の支えも大きかった

 「一番最初の捕手西山さんから始まって、いろいろな捕手に受けていただいた。本当にコントロールの悪い、ベースの前でワンバウンドするフォークをみんな体を張って止めてもらった。一番受けていただいたのは石原さん。ワンバンを止める、止めないで議論になったこともある。そういう意味では体を含めて迷惑をかけたと思います」

 --それでもフォークを投げつづけたのは

 「1年目からうちのキャッチャーは優秀。そういう意味ではランナー三塁でも思い切ってワンバンを投げられる捕手がそろっていた。ありがたかったですし、心強かったですね」

 --永川投手はよく投げてよく走る。カープのチームカラーに合っていたのでは

 「広島に生まれたので広島という感覚がある。17年さしてもらって、他のチームは知らないので、一概に言えないですけど、本当に最高のチームであり、本当にいい後輩と先輩に恵まれたと思っています」

 --今日の中日戦(マツダ)で先発する。意気込みは

 「いまクライマックスシリーズを争っているチームの直接対決。たまたまこういうときに僕のこういう試合になってしまって、先発で投げる。ただただ迷惑をかけたくないなと。1人になると思いますけど、次に投げる投手に迷惑をかけないようにしたい。それだけを考えています」

 --永川投手のイメージはダイナミックなフォームとフォーク。対戦のイメージは

 「いまの自分の力で全力で向かっていったところで結果はあまり左右されるわけではない。最後に僕が与えていただいたので、最後は自分の投球をして結果がどうであれそこで踏ん切りを付けたいです」

 --後輩にメッセージを

 「1軍では今年選手と接する機会はなかったですけど、2軍ではいろいろな選手と接した。若い投手が多いので今を大事に、今日は今日しかないと日々を過ごしてほしいと思います。これから先の投手陣は彼らが引っ張っていかないといけない。1日1日を無駄にせず、今を生きてほしいなと思います」

 --ファンへメッセージ

 「このような大した技術のない選手をずっと応援してくださった方々が多かったので、本当にすべてのことに感謝している。最後まで僕を応援してくださった方々、昔の市民球場のときから叱咤(しった)激励してくださった方々に、すべての意味を込めてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました」

 --元広島のエース、北別府氏の背番号「20」を背負い続けた思いは

 「ものすごい番号をいただきまして1年目に。しかも投手コーチは北別府さんで、なかなか過酷な状況をつくってもらった。投手コーチとしてものすごく感謝している。20番をもう少しキレイな形で終わらせたかった。さすがに200勝という偉大な成績は残せなかった。次に20番をつけて投げる選手は北別府さんのように200勝できる投手、抑えになるのなら球団記録を塗り替えるような投手になってほしいです」

 --抑えは先発投手の成績を背負っての登板になる

 「何試合(先発投手の白星を)消してきたからわからない。僕の失敗のせいでプロで1勝もできず辞めた子もいる。そこの僕の失敗がなければ1勝はできていた。いろいろと考えた。黒田さんが投げているときに失敗していますし、佐々岡さんが投げているときもそうですし。黒田さんは200勝は何とかいってくれないと。199で辞めたらとか考えました。今から200勝する投手が出てくるかもしれないけど、本当に迷惑をかけました」

 --松坂世代についてどう思う

 「今年も辞める選手が出てくる。一昨日も(ヤクルトの)館山くんが辞めたのを見ていたけど、それは年齢のこともあるので仕方がない。いま頑張っている選手は本当に心から尊敬できる。どこかで歯を食いしばって一生懸命やっているから今がある。これから先も長く頑張ってもらいたいと思います。松坂選手は僕にとって神様のような存在です。契約はわからないですけど、まだできると自分で思うのなら僕らの先頭を切って、何年もやってもらいたい。あまり関わりはないですけど、同級生としては同年代をずっと応援していきたいです」

 --引退後のプランは

 「今後は無職です。何をするんですかね。シーズンも終わっていない。僕が決められることではない、仕事は。何かなければどっかで面接を受けます」

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