バッキー氏死去 最期はご家族からのメールで…丹羽政善通信員が思い出を語る - SANSPO.COM(サンスポ)

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バッキー氏死去 最期はご家族からのメールで…丹羽政善通信員が思い出を語る

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ジーン・バッキー氏(撮影:2002年11月30日)  プロ野球阪神で日本通算100勝を挙げ、外国人選手として初めて沢村賞を獲得したジーン・バッキー氏(82)=米国=が14日(日本時間15日未明)に死去したことがわかった。82歳。がんで闘病中だった。家族によると、米ルイジアナ州ラファイエット市内のホスピスで息を引き取ったという。バッキー氏と親交のあった丹羽政善通信員が思い出を振り返った。

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 見えない何かが働いたとしか思えなかった。

 バッキーさんと最後に連絡を取ったのは今年3月終わり。ランディ・メッセンジャー(阪神)が開幕マウンド(3月29日のヤクルト戦、京セラ)に上がる前夜のことだった。

 そのときバッキーさんから「100勝を目標にしてはいけない。私を超えていってほしい」というメッセージを託された。以来、やり取りはなかったものの、元気な様子はフェイスブックなどから伝わってきた。

 そんな中、今月13日にメッセンジャー引退のニュースが流れた。バッキーさんにそのことを知らせようとメールをしたが、いつもはすぐに返信があるのに、音沙汰がない。

 少し嫌な予感がして、電話をかけようとしたものの、なぜか番号が見つからない。昨年3月にバッキーさんの自宅を訪れたときに娘さんやお孫さんとも食事。そのときに電話番号を交換したので近くに住む娘さんに連絡をすると、「合併症を併発し、父は今、話せないの…」というショートメールが届いた。言葉をなくしていると「今日、ホスピスに移った」というメールが続いた。

 バッキーさんは昨年4月に膀胱がんの手術を受けている。しかし5月になって「手術は無事成功して、がん細胞はすべて取り除いた。生体組織検査も異常はない!」という快気メールが届いた。そして母校(ルイジアナ州立大ラファイエット校)の試合を、ヤンキースなどで活躍した後輩のロン・ギドリー氏と一緒に観戦したときの写真が送られてきた。

 以来、何度かやり取りをしたが、病気の話は一切なかった。元気にされていると思っていたのだが-。

 14日早朝のことだった。米中部時間では午前8時31分、家族からバッキーさんのメールアドレスを介して、状況を伝えるメールが届いた。

 「悲しい知らせだけど、私の父、ジーン・バッキーの状況のお伝えします」

 以下は、すでに報じられている通りだが、「今は静かに、神に呼ばれ、亡くなった母のところへ行くことを待っています」と結ばれていた。

 「父のために祈りをささげてくれたすべての方にお礼を申し上げます。永遠にバッキーは阪神のレジェンドです#4」

 その時点で、危篤であることが分かった。

 その後のやり取りでは「よろしければ、父が何度も思い出話をしていた王貞治さんに連絡をしてもらえますか。もう、メッセージを読むことはできませんが、耳元で話しかければ、分かるかもしれません」というショートメッセージが届いている。

 だが、それからほとんど間を置かず、「今、亡くなりました」という連絡があった。米中部時間で午前11時6分のこと。午前10時43分、バッキーさんは愛する「オクサン」の元に旅立っていった。

 メッセンジャーが通算100勝を達成する試合には、日本に行きたいと、何度も話していたバッキーさん。

 「せめてももう一度、甲子園のグラウンドに立ってみたいんだ」

 その思いは、かなわなかった。

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