【球界ここだけの話(1555)】甲子園のスタンドで握ったホームランボールを四半世紀ぶりに発見 - SANSPO.COM(サンスポ)

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【球界ここだけの話(1555)】甲子園のスタンドで握ったホームランボールを四半世紀ぶりに発見

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日本ハム・高山広報の自宅に飾ってあるというホームランボール  記者が高校野球の甲子園大会取材中に握ったホームランボール。打った本人の手元に届いていたことが、四半世紀ぶりに判明してすっきりした。

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 1993(平成5)年夏の甲子園大会。当時入社2年目の記者は、新潟明訓対松江第一(島根、現・開星)戦のときに三塁側アルプス席にいた。新潟明訓をモデルにした高校野球漫画屈指の名作「ドカベン」の作者、水島新司さんを取材するためだった。

 水島さんの左隣に座り続けて試合観戦。すると新潟明訓の選手が打ったホームランが、アルプス席に飛び込んできた。周囲は狂喜乱舞。だが、誰も打球を取りに行かず、ホームランボールはアルプス席の片隅に数分。見かねた記者は、駆け寄って白球を取り上げた。

 しばらくたっても野球部員や高野連関係者が探しに来ず、ずっとボールを握り続けていた。新潟明訓は3-1で1回戦を突破。試合後、喜びの声を聞いた水島さんにホームランボールを差し出した。恐縮する水島さん。右隣に座っていた“ドカベン”香川伸行さん(故人)の後押しもあり、水島さんにボールを受け取っていただいてアルプス席を後にした。

 その後、ふとした折にボールの行方が気になっていたが、昨夏の甲子園大会取材中、アマ野球担当の赤堀宏幸記者から貴重な話を聞いた。

 「日本ハムに高山さんという広報がいる。新潟明訓の野球部出身で、甲子園で新潟明訓にとって記念のホームランを打った人だ」。過去の記録を調べたところ、本塁打を放った打者の名は確かに高山さんだった。

 半年後、本人に確認する機会を得た。今年2月に日本ハムのキャンプ取材で沖縄・名護へ向かった。到着した14日の練習取材中に“ハム番”中田愛沙美記者を通じて、日本ハムの管理統括本部・広報部広報グループの高山通史グループ長に名刺を出してあいさつ。一件を伝えたところ、高山さんのスマホに入っていたホームランボールの写真を見せてもらった。

 あの一打は五回に飛び出した先制のソロ本塁打で、第75回大会の大会7号。春夏通じて新潟明訓の甲子園初勝利の一戦だった。2回戦で横浜商大に敗れた日の夜、宿舎で佐藤和也監督(現・新潟医療福祉大野球部監督)からホームランボールを手渡されたという。水島さん経由で佐藤監督に届いたのだろう。

 高山さんは高3春までずっとベンチ外。“最後の夏”に初めて背番号をもらって新潟大会に出場した。「8番・一塁」で出場した甲子園での一打は、自身の野球人生で初本塁打だった。

 「野球部の同期が28人(うち女子マネ2人)いて、一番下手だった自分が、プロ野球に関わる仕事をさせていただいています。あのホームランがなかったら、今の自分はないと思います」

 記者が手にしていなくても、ボールは高山さんのところへ届いていただろう。現在、記念の白球が自宅に飾られていると聞いてホッとした。(山口泰弘)

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