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【ワンス・アポン・ア・タイム】ブーマー(4)別格の友人、ライバル、そして衝撃新人

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日本球界時代の思い出を次々と語ってくれたブーマー氏(撮影・丹羽政善通信員)  毎週火曜日に旬な話題をお届けする「サンスポ火曜ワイドスペシャル」は、「ワンス・アポン・ア・タイム~昔々の物語」の第2弾、ブーマー・ウェルズ氏(64)編です。阪急などで通算277本塁打を放ち、1984年にNPB外国人選手史上初の三冠王。最終回はソフトバンク・工藤公康監督(55)、米大リーグ・マリナーズのイチロー会長付特別補佐(44)らとの当時の思い出を明かしてくれました。 (聞き手=丹羽政善通信員)

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 門田(博光)さんのことは尊敬していた。彼とはオリックス、ダイエーでチームメートになったけど、もちろん彼の南海時代から交流がある。一番強烈だったのは打球の速さ。今でこそ打球の初速とか測れるようになったが、おそらく現在のメジャーリーガーと比べても、引けを取らないのではないか。当時の日本では別格だった。一塁を守っていて正直、怖いと思ったほどだ。

 だから彼が打席に入ると、ずっと下がって外野の芝の上で守っていた。あるとき、門田さんが打席を外してこっちを見ていた。バントの構えをして、「そんなに後ろを守るなら、一塁の前にバントで転がすぞ」とでも言わんばかり。こっちにしてみれば「どうぞ」だよ。バント安打なら、ホームランにならないし、こっちがけがをすることもない。それぐらい、打球が速かった。

 ヒットを打って一塁に来ると「ブーマー、なんであんな後ろを守ってるんだ?」と聞いてくる。彼は自分の打球の速さを知らない。そんなやりとりも楽しかったが、チームメートになったときも楽しかった。

 試合が終わってからクラブハウスでよく一緒にビールも飲んだ。私は電車だったし門田さんは車だけど、運転手がいた。

 ある日、試合前にビールを1ケース買ってきて、クーラーボックスで冷やしておいた。試合後、そのビールをみんなで飲んだ。今井さんはイッキしていた。次の日は門田さんがビールのケースを抱えて、クラブハウスに入ってきた。そんななんでもない日常が記憶に残っているのも、不思議なものだ。

 敵の選手とあまり友達になることはなかったけど、西武の工藤公康(現ソフトバンク監督)とはいい友達になれた。

 ある日、彼から2本ホームランを打った。次の日、練習をしていたら、「ダメよ、ダメ。ノーホームラン、ノーホームラン」と言いに来た。

 彼は高めのボールを振って三振すると、「あれはボール球だ」って教えてくれる。逆に私がホームランを打ったときには、「今のカーブは、曲がってない。低めに投げないと」と彼に教える。敵なんだけれど、味方というか…お互いにコーチのようだった。

 あとは西武の東尾(修)さんとも、いろんな思い出がある。彼はガンガン内角に投げてくる。米国の投手のようにね。でも、彼のベストピッチはスライダーだろ?

 で、内角で体を起こしてから、スライダーを外角低めに投げるのがパターンだった。だからあるとき、内角に来たあと、次は絶対にスライダーだと思ったから、東尾さんにウィンクをしたんだ。

 東尾さんは分かっていなくて、読み通りスライダーを投げてきた。それをしっかり打たせてもらったよ。すると次の日、打撃練習をしていたら、東尾さんが声をかけてきた。「おい、対決しているときにウィンクするな」と。もちろん、笑いながらだけど。その後も何度かウィンクをしたら、さすがにマウンド上で「ノー、ノー」って言い返してたっけ。

 イチローのことも忘れられない。私がダイエーに移った1992年にオリックスに入団してきたからチームメートとしてプレーしたことはない。そしてその年はイチローも2軍にいるときの方が多かったから、対戦の時に頻繁に顔を合わせたわけではないが、あるとき、ちょうど1軍にいた。

 その日、外野でストレッチをしながら、イチローの打撃練習を見ていたら、こっちの動きが止まってしまった。あの衝撃は忘れない。これが高校を出たばかりの選手かと、あぜんとしたよ。

 近くにいたオリックスの関係者に「あれは誰だ?」って聞いたら「イチロー・スズキです」と言ったのを今でもはっきり覚えている。次の対戦のとき、誰かに「イチローはどこだ?」って聞いたら2軍だと言う。どうしてって聞いたら「外野手がいっぱいだから」と。ならば、その外野手をまとめてトレードしてイチローのためにスポットを空けるべきだと言った。

 「いや、彼は若すぎる」と反論されたけど、イチローの才能はそれぐらい飛び抜けていた。あいつが2軍でなにを証明する必要があるんだ? という気分だったよ。

 1994年の春だったかな。オリックスの臨時コーチをしているとき、中日とのオープン戦があった。試合前にアロンゾ・パウエル(現ジャイアンツ打撃コーチ)と話しているときに「見ておけ、あいつは一流になる」と話したのを覚えている。

 それほど次元が違った。さすがにメジャーでも一流になるとは想像できなかったけど(笑)。

 それにしても、改めて振り返っても、日本での10年は素晴らしい思い出にあふれている。そのチャンスを与えてくれた阪急とオリックス、そしてチームメートたちに感謝したい。そして日本のファンにもまた会えることを楽しみにしている。 (おわり)

★日本で生まれた娘が婚約

 現在は、地元の野球チームのコーチをしているブーマー氏。「13、14歳の子供たちだ。夏休みの間は、練習も多いから、こっちも何かと忙しい。学校が始まって、少し落ち着いたかな」と目を細めた。「最近のビッグニュースは、日本でプレーしているときに生まれた娘の婚約かな。彼女は今、32歳になるんだけど、韓国の高校で英語を教えていて、そこで知り合った韓国人と結婚するっていうんだ。来月、ここに連れてくるって言うから、ちょっと複雑だよな」と話していた。

ブーマー・ウェルズ(Gregory DeWayne “Boomer” Wells)

 元内野手。1954年4月25日生まれ、64歳。米アラバマ州出身。ブルージェイズ、ツインズを経て83年に阪急入団。登録名のブーマーは『ブームを呼ぶ男』の意味。2年目の84年に打率・355、37本塁打、130打点でNPB外国人選手初の三冠王とMVPを獲得し、リーグ優勝に貢献。87年に打点王、89年に首位打者と打点王。92年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、打点王を獲得も同年限りで引退。94年にはオリックスの臨時打撃コーチを務め、現在は代理人。現役時のサイズは2メートル、100キロ。右投げ右打ち。

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