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【ワンス・アポン・ア・タイム】ブーマー(1)阪急で私は浮いていた

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ビールかけでの恩師・上田監督(右)とのワンシーン。ブーマー氏にとってお気に入りの写真という(本人提供写真)  毎週火曜日に旬な話題をお届けする新企画「サンスポ火曜ワイドスペシャル」。9月からは「ワンス・アポン・ア・タイム~昔々の物語」の第2弾、ブーマー・ウェルズ氏(64)編を全4回で連載します。阪急などで通算277本塁打を放ち、1984年にはNPB外国人選手史上初の三冠王に輝いたブーマー氏に、当時の思い出や秘話をたっぷりと語ってもらいました。(聞き手=丹羽政善通信員)

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 今年7月に3年ぶりに日本へ行ったけど、暑かったね(笑)。引退後も時々、訪れているけど、いろいろあって心のリセットが必要な時、行きたくなるのが日本なんだ。日本に行くと落ち着く。日本での10年が素晴らしかったからだ。

 生涯の友人も出来た。山田(久志)さんに、福本(豊)さんに…名前を挙げたらきりがない。彼らはみんな本当の意味でチームメートだった。

 1983年に阪急に入団したんだが、最初、私は浮いていた(笑)。野球は楽しむものと思っているんだけど、最初の春季キャンプでアップの時にジョークを飛ばしていたら、みんながこっちを見ていた。「監督に怒られるぞ」と耳打ちしてくれる選手も。カルチャーショックを受けたね。

 ツインズにいた頃、スカウトのチャーリー・マニエルから「日本の野球は違う」とは聞いていたけど、根本のところで異なっていたんだ。日本の選手たちは、野球を仕事だと感じている。だから練習中に「笑っちゃいけない」と言われた。それじゃあ、野球が楽しくなくなってしまう。

 結局、楽しむことだけは最後まで変えなかったけど、上田さん(利治監督)は何も言わなかった。ちゃんと練習はしたし、結果を残したから。そのうち練習中に冗談を言い合ったり、笑ってもいいんだという感じになった。そうやってチームがまとまっていった。

 もちろん、こんな私でも静かな時もある。相手先発をどう攻略しようか考えている時には口数も少なくなる。するとあるとき、通訳がやってきて「監督が呼んでる」と。何だろうと思っていったら「大丈夫か?」と聞かれたんだ。「元気なさそうだけど」。何度、大丈夫と言っても理解してくれない。「けがしているのか?」。そしてトレーナーまで呼んで「ブーマーが病気だから見てやってくれ」なんて言い出した。「いや、大丈夫だから!」やっとわかってくれたけど、最初は静かに練習をしていると「熱でもあるのか?」。と真面目に心配されたものだ。

 上田さんには本当にお世話になった。自由にやらせてくれた。毎年2回ぐらい、東京・六本木のピザ店に各球団の外国人選手が集まるんだけど、監督の愚痴を口にする選手は少なくなかった。でも私は、そういうストレスとは無縁だった。

 実は1年目は調整に失敗した。結果を残さなければという気負いから、オープン戦で頑張りすぎて開幕の頃にピークが来てしまった。長いシーズンでは息切れしてしまう。それが1年目。その年のオフは帰国後、ゆっくりしてランニングやウエートトレーニングだけを欠かさずやった。春季キャンプまでボールを握らなかったし、バットも振らなかった。体力強化に主眼を置いたんだ。

 オープン戦が始まると上田さんに伝えた。「最初は1日1打席、フル出場は最後の2、3試合でいい」と。上田さんは認めてくれた。その年に三冠王になったけど、まだ結果が出ないうちに僕の考えを尊重してくれた。だから逆に、結果を残さなきゃって。その信頼関係は、最後まで変わることはなかった。

 一度だけ険悪な雰囲気になったかな。負けが込んでいた時、練習でいつものようにジョークを飛ばしていたら「何やってるんだ!」と上田さんが険しい表情で睨んだ。「なんでそんなに神経質になってるんだ? 長いシーズンこういうことだってある」と返したら言い争いになった。お互いに思っていることを言ったらすっきりしたけど、メディアの前でやってしまったのが悪かった。

 フロントの人たちが心配して、次の日、メディアの前で握手をさせられた。でもあのとき、上田さんはこう耳元でつぶやいたんだ。

 「クレイジーね」

 正直、理不尽だと思ったよ。なんで、わだかまりなんてないのに仲直りしなきゃいけないんだって? でもあのとき、それを一番わかってくれたのが上田さんだった。

★住友平さんは最高のコーチ

 ブーマー氏は当時の住友平打撃コーチについても「自分の調整を尊重してくれた。信頼されていることが伝わってきた」と感謝した。一度、スランプの時に「打撃練習をしない」と言ったら「10スイング、いや20スイングでいいから」と頼まれたが“拒否”。その試合で2本ホームランを打った。2、3日経つと、練習が必要になったが「10スイングだけだぞ」と言われたという。「彼はアドバイスが的確だった。初対戦の投手がマウンドにいると球種を絞り込んで、例えば『スライダーを狙え』って教えてくれる。それが当たるんだ。最高の打撃コーチだったね」と懐かしそうに振り返った。

ブーマー・ウェルズ(Gregory DeWayne “Boomer” Wells)

 元内野手。1954年4月25日生まれ、64歳。米アラバマ州出身。ブルージェイズ、ツインズを経て、83年に阪急入団。登録名のブーマーは『ブームを呼ぶ男』の意味。2年目の84年に打率・355、37本塁打、130打点でNPB外国人選手初の三冠王とMVPを獲得し、リーグ優勝に貢献。87年に打点王、89年に首位打者と打点王。92年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、打点王を獲得も、同年限りで引退。94年にはオリックスの臨時打撃コーチを務め、現在は代理人。現役時のサイズは2メートル、100キロ。右投げ右打ち。

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