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【乾坤一筆】縁感じた人とのつながり

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 子供の頃、確かにテレビで見たのを覚えている高校野球は1969年夏の松山商(愛媛)-三沢(青森)の決勝再試合。当時小学2年生で、球史に残る試合だったのを知るのは何年も後のことだ。

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 勝敗より、珍しい名前が気になった。三沢の小比類巻(こひるいまき)英秋捕手。戦国大名の長宗我部元親、小説家の武者小路実篤らは、まだ知らない。初めて見る漢字4文字の名字だった。

 昨秋、第100回大会に向けた連載『荒木大輔の歴史旅』で三沢市を訪れ、準優勝メンバーに取材する機会に恵まれた。小比類巻さんには「ずっとお会いしたかったんです」とあいさつした。

 連載では地元での準優勝パレードの写真を掲載した。パレードは太田幸司投手が甲子園大会直後のブラジル遠征から帰国するのを待って行われ、太田さんと小比類巻さんのユニホームは汚れたまま。「洗いたくなかったんだ」というバッテリーの絆に感動した。

 そして後日談。今も大事に保管されていると思いきや、「うーん、捨ててはいないと思うけど、一体どこにあるのか…」と小比類巻さん。約半世紀の年月を感じた。

 高校野球で覚えた、珍しい名字がもうひとつある。西大立目(にしおおたちめ)審判員だ。70年代、まだ手書きだった甲子園のスコアボードに、漢字4文字が窮屈そうに並んでいた。フルネームは西大立目永(ひさし)という。

 早大に入学すると、体育の講師覧に名前を見つけた。担当はソフトボール。厳しい先生で、「開始時間には運動着に着替えて、グラウンドにいるように。1秒でも遅れたら出席とみなさない」と宣言された。そして「横一列に並べ。ストライ~ク。さあやってみろ」。授業は審判のコールの練習から始まった。

 課題の一つに、東京六大学リーグ戦のスコアブック提出があった。指定カードは、なぜか法大-東大。右翼席に座ると、数メートル前にオーラを放つ大柄な選手が守っていた。法大の4番・小早川毅彦外野手だった。

 西大立目先生は2002年に66歳で亡くなられた。私は今、サンケイスポーツ評論家の小早川氏と仕事をしながら、いろんな縁があるものだと感じている。

■松尾 雅博(まつお・まさひろ)

 1988年、産経新聞社入社。巨人などプロ野球、2000年シドニー五輪を担当。産経新聞運動部デスク、サンケイスポーツ運動部デスクを経て、現在は運動部編集委員。好物は辛子明太子。

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