【球界ここだけの話(1366)】阪神・石崎の宝物は青春の高校3年間 1年夏からエースの右腕を変えた監督の言葉 - SANSPO.COM(サンスポ)

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【球界ここだけの話(1366)】阪神・石崎の宝物は青春の高校3年間 1年夏からエースの右腕を変えた監督の言葉

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復帰を目指す阪神・石崎剛  記念すべき100回大会を迎えた高校野球。18日の試合を終え、4強が出そろった。甲子園にこそ出場できなかったが、阪神・石崎剛投手(27)も茨城・三和高時代に節目の90回大会を経験している。

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 「お山の大将じゃないですけど、マウンドで表情に出してしまうことがあって。監督が『エースとして失格。それなら27個三振取れ!』と。それで変わることができました」

 同級生が7人、1つ下の学年も2人しかいなかった。2年秋の大会は9人で出場するなど、決して恵まれた環境ではなかった。それでも、石崎のために当時の監督は大学や社会人チームに足を運び、メニューを組んでくれたという。「出会っていなかったら、今ここにいない」と語る最大の恩師とともに、夢舞台を目指してきた。

 1年夏から背番号「1」を背負うようになった石崎も、期待に応えるように成長。2年秋の大会でサッカー部やラグビー部から部員を“借りて”試合をしたこともあった。それでも「22個か23個」三振を奪い、マウンドに仁王立ち。「弱小でもエースナンバーを背負っていたので、責任感がありました」と思いをはせた。

 部員が増えた3年夏は1回戦で多賀高に1-2で敗戦。プロ志望届は提出しなかった。「父が社会に出て、しっかり勉強してこい、と」。新日鉄住金鹿島での6年間を経て、球速は150キロを超えるまでの成長。14年秋のドラフト会議で阪神から2位指名を受け、プロの門をたたいた。

 ともに聖地を目指した球友とは普段からも連絡を取り、地元に帰れば杯を交わす。青春の3年間は、今でも輝く宝物だ。

 「強豪高だけが甲子園にいけるわけじゃない。一人一人が真面目にやっていれば、必ず可能性はあると思います」

 弱小高からでも、プロになれる-。憧れだった甲子園のマウンドは“職場”となった。球児たちに夢を与えるためにも、6月に受けた右肘手術からのいち早い復帰を目指している。(竹村岳)

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