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【ワンス・アポン・ア・タイム(2)】バッキー氏、今も忘れない温かいニホンジンと先輩・小山さんの思い出

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懐かしそうに当時を語るバッキー氏(撮影・丹羽政善通信員)  毎週火曜日に旬な話題をお届けする新企画「サンスポ火曜ワイドスペシャル」、4月は阪神助っ人歴代最多の100勝を挙げたジーン・バッキー氏(80)による「ワンス・アポン・ア・タイム~昔々の物語」を全4回で連載します。第2回は、テスト生として来日した直後を回顧。日本人の温かさ、後の活躍につながる日々の思い出をたっぷりと語ってくれました。 (聞き手=丹羽政善通信員)

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(1)産後、夫人出血に同僚オクサン救急車&通訳に感謝

 (ハワイの3Aチームでクビになりかけていたバッキー氏は阪神の目に留まり、テスト入団。来日当初は甲子園近くのアパートに住んでいた)

 アパートでは忘れられない恩を受けた。3人目の子供(ミシェル)が生まれた直後、退院したオクサン(ドリス夫人)が家で大量に出血して。後で不正出血だとわかったけど、そのときはパニックになってしまった。どうやって救急車を呼べばいいかわからないし、病院に連れて行っても、日本語でどう説明したらいいかも分からない。

 ソロムコ(マイク、当時の助っ人外野手)に連絡をしたら、すぐに彼のオクサンと渡辺(省三)さんのオクサンも来てくれた。ソロムコのオクサンは日本人で英語も話せる。救急車にも一緒に乗ってくれた。通訳もしてくれて、どれだけ助けられたか。

 アパートには子供を3人とも残してきた。渡辺さんのオクサンや同じアパートの女性たちが「こっちは任せなさい」って言ってくれたけど、気が気でなかった。でもニホンジン、スゴイヨ。まったく問題なかった。子供たちはもう寝ていたかな。女性たちが寝かしつけてくれたんだ。しかもキッチンには血がいっぱいだったはずなのに、すっかりきれいになっていた。彼女たちに、改めてお礼を言いたい。

(2)おいしかったオコノミヤキ…一番面倒見てくれた小山さん

 阪神に入ったとき、一番、面倒を見てくれたのが小山正明さん(通算320勝)だった。よく食事も連れて行ってくれた。広島では初めてオコノミヤキを食べたけど、最初は、どんな食べものか知らなかった。小山さんはピザのようなものって言っていたかな。まるで違ったけど、おいしくて…。目の前で作ってくれたんだけど、今でも恋しい。広島に行くと、いつもオコノミヤキを食べていた。

 シューマイを教えてくれたのも小山さん。横浜の駅でシューマイ弁当が売っているから必ず買っていた。最初は小山さんが食べていたんだ。「1個食べるか?」って言われて食べたら、おいしかった! 「もう1個」って言ったら「自分で買え」って(笑)。それからは横浜駅につく度に買っていた。停車時間が短いから、ドアが開いたら走って売店へ行って、走って電車に戻った。

 広島にはこんな思い出もある。一人で街を歩いていたら「バッキーさん」って声をかけられて。誘われるままその店で「これも食べろ、あれも食べろ」とどんどん出てきて。お金を払おうとしたら「いいから」って受け取ろうとしない。

 宿舎に帰って小山さんに話したら「それはどの店だ?」という。「大体あの辺り」と説明したら「バッキーさん、もう、その辺にはいかないほうがいいよ」。どうやら恐い人がたくさんいるところだったみたい。でも、すごく良くしてくれて優しかった(笑)。

 小山さんには野球でも学ぶことが多かったね。当時、村山(実)さんもいて、ブルペンでは彼らの制球の良さに驚かされた。いつでも投げたいところに投げられるんだ。それで僕は彼らの足に注目した。どこに踏み出すのかってね。いつも同じ場所だった。リリースポイントも一緒。それを見習って、僕も左足を同じところに踏み出すようにして、リリースポイントも意識するようになったら、徐々にコントロールが良くなったんだ。

 彼らは、まさに先生。投手コーチも杉下(茂)さんだったから、いい環境だった。杉下さんはマウンドに来るといつも「スマイル、スマイル」って。僕はすぐカッとなっちゃうから。

 そこも日本人に学ぶことが多かった。彼らは感情をコントロールできる。僕は打たれてベンチに戻ってくるとグローブを投げつけたりしちゃうけど、日本人は感情を表に出すことが少ない。一度、ダッグアウトにあった火鉢をひっくり返しちゃったことがあったけど、あれはみんなに「バッキーさん、ダメよ、NO」って怒られたな。 (つづく)

★父親、初来日「遠すぎる!」

 バッキー氏は「一度、両親が日本に来た。ハワイ(経由地)で離陸後にトラブルがあって空港に戻ることになって。父親はパニックになって大阪で会ったときに僕に抱きついてきたよ。本当に怖かったらしい。『もう乗らない。遠すぎる!』と叫んでいた」と振り返った。「でも日本滞在はすごく楽しんでくれた。鳥羽へ行って、名古屋でノリタケの食器をお土産に買って、東京では帝国ホテルに泊まった。あとで何度も『楽しかった』と言われたよ。父親にとって初めての海外旅行で、飛行機も初めてだったから」と目を細めていた。

ジーン・バッキー(Gene Bacque)

 元投手。1937年8月12日、米ルイジアナ州出身、80歳。サウスウエスタン・ルイジアナ大からマイナーリーグを経て62年8月に阪神にテスト入団。上手、横手からの変幻自在な投法とナックルボールを武器に、64年に29勝9敗、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率を獲得し、外国人選手初の沢村賞を受賞。チームを優勝に導いた。同年のシーズン200奪三振は2014年にメッセンジャー(226奪三振)に抜かれるまで、球団外国人投手のシーズン最多記録。1965年6月28日の巨人戦(甲子園)ではノーヒットノーランを記録。69年に近鉄に移籍し、同年引退。通算8年で251試合登板、100勝80敗、防御率2・34。現役時代は1メートル91、91キロ。右投げ右打ち。

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