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電撃トレ115振!ヤクルト・青木、Vの使者宣言「やり残したことは優勝」

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背番号23のユニホームに袖を通した青木は、満面の笑みでガッツポーズを決めた  ヤクルトに7年ぶりに復帰した青木宣親外野手(36)=前メッツ=が6日、沖縄・那覇市のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城で入団会見に臨んだ。日米通算2058安打を積み重ねた天才打者は日本一の使者となると宣言した。3年契約で総額10億円、背番号は入団時につけた「23」。7日に始まる第2クールから練習に参加する。

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 背番号23のユニホームに袖を通した青木は、写真撮影を求められると「新人みたいだね」と笑った。那覇市内のホテルで午後5時に始まった会見。止まっていた「ヤクルト・青木」の時が動き出した。

 「人生はチャレンジの連続だと思っている。また日本球界、新しい環境でチャレンジしていくというのが、自分の中で大切にしていること」

 古巣への愛情で復帰を決断した。当初は大リーグでのプレー続行を希望も、このオフの市場の動きは低調だった。ロイヤルズ時代の2014年。ジャイアンツに敗れたがワールドシリーズの大舞台を経験した。メジャーでの6年間を「生活から全てが試練。自分を変えてくれた」と振り返る。

 去就に悩む中で「(移籍後に)毎年、声をかけてくれていた。(編成上で)ヤクルトに迷惑がかからない時期を考えて決断した」と最下位からの再建に貢献することを新たな挑戦と位置付けた。

 前回在籍最終年の2011年は、リーグ優勝目前に迫りながら中日にさらわれた。「自分の日本時代はそこで一回止まっている。前に進めたい。やり残したのはヤクルトで優勝すること。その気持ちでやっていきたい」と前を見据えた。

 求められる役割は理解している。「米国で環境がころころと変わる中でもあきらめずにやった。後輩たちにアドバイスできたら良いと思う」。技術だけではなく、精神面でも支える覚悟だ。

 思いは行動にも表れた。会見より約7時間前の午前10時過ぎ。浦添市民球場を訪れて約1時間、練習した。今キャンプでは休日返上の自主練習が禁止とあって球場を訪れた選手はただ1人。同学年の川島亮1軍マネジャーを相手にキャッチボール、ノックで体を動かした。

 ティー打撃では球を上げる角度を変えて工夫するなど、黙々とスイング。投球マシンを相手にした打撃では関係者が真横からスマートフォンで撮影。打撃フォームをチェックしながら、115スイングを重ねた。

 「(日本の投手に)アジャスト(適応)していくという気持ちはある。ベースボールと野球の違いは感じている。もっともっと、野球に近づけていけるように、そういう気持ちでいます」

 7日に始まる第2クールから練習に参加し、当面は一部別メニューでの調整となる。会見を終えた青木は「そう、時が止まっていたんだよ」とうなずいた。青木の合流とともに、ヤクルトがさらに変わる。 (長崎右)

同席したヤクルト・小川監督「まずはコンディションが最優先。ある程度、期間をおいてから本隊に合流という形になる。何日に実戦に出るというプランはまだ立てていない」

★山田はもっとできる

 昨年のWBCでチームメートだった山田哲については「まだ才能に気付いていない。もっとすごいプレーヤーになれる」と指摘した。背番号23から1を受け継いだ後輩に対して「考え方もそうだし、多分、まだ本気になっていなくてもトリプルスリーを達成した。内面が変わってくると、もっとやれる」とさらなる成長を期待した。

青木 宣親(あおき・のりちか)

 1982(昭和57)年1月5日生まれ、36歳。宮崎県出身。日向高から早大を経て2004年ドラフト4巡目でヤクルト入団。プロ野球史上初となる2度(05、10年)のシーズン200安打以上を達成。11年オフにポスティングシステムでブルワーズに移籍。昨年6月に日米通算2000安打を達成。06、09、17年WBC、08年北京五輪日本代表。1メートル75、81キロ。右投げ左打ち。夫人は元テレビ東京アナウンサーの佐知さん(34)。背番号23。

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