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【二十歳のころ 南場智子(2)】米留学が転機…夜中まで猛勉強

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米ブリンマー大に留学した南場オーナー(左)。津田塾大3年夏からの10カ月は、大きな転機となった (南場智子氏提供)  東京に出て津田塾大の学生寮で生活を始めたものの、いつも“父の影”におびえていました。

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 門限は午後11時前後でしたが、アルバイトや遊びに行って遅くなると、その度に連絡がいっているのではないか、誰かが父のスパイなのではないかと恐ろしくなったり。東京の生活で“はじける”感じはありませんでしたね。

 その中で、転機になったのが22歳での米国留学です。大学4年の夏から10カ月間、姉妹校のブリンマー大(米ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外)へ。父が、海外まで追いかけてくることは絶対にないだろうという気持ちもありました。

 中学生のころから文通をしたり、コミュニケーションが広がったりするのが好きで、米国への思いはもともと持っていました。大学に奨学金の制度があり、選ばれるのは年に1人。そこに入ろうと頑張りました。

 ところが、留学が決まると父が大学に乗り込んできたのです。当時は上越新幹線がなく、新潟から東京に飛行機で文字通り飛んできました。留学の話はなくなる。そう思いましたが、教授との5、6時間ほどの話し合いの後、父に「素晴らしい人物だな。お前、行ってきたらどうだ」と言われて。上から目線で驚きますよね。じっくり話してくれた教授には、本当に感謝しています。

 留学中は、あんなにしたことはないというほど勉強しました。本当によく勉強する大学で、授業の後も夜中の1、2時まで皆、勉強していました。私は経済学を選択しましたが、米国の経済学は数学的で、初めて学問が面白いと思ったのがこのころ。一方で、あれほど離れたいと思っていた父との距離が近付いたのも、このころでした。

 米国では頻繁に父と手紙の交換をして、いろいろな側面を見られました。父の手紙はとてもユーモアがあり、達筆の母とはまた違う“ヘタウマ”な字に温かみがあって。初めて好きというか、面白みがある人だなと思いました。

 手紙の内容は、たわいのない近況報告程度です。欧州旅行中にホテルの部屋から景色を見ていたらお風呂の水をあふれさせた、とか。ただ、これまで「ハイ」「分かりました」しかないような家族だったので、初めて“会話”をしたという感覚でした。面白くなって、毎週のようにやり取りをしていました。

 留学が終わったときには、ハワイのオアフ島で落ち合おうということになって、2人で旅行をしたんです。一緒にゴルフをしたり、お酒を飲んだり。気ままな旅が楽しかったですね。

 20歳前後で人間は変わってくると言いますが、私も米国留学で少し自信を得られたのだと思います。みんなが一生懸命頑張っているところで、英語など多少のハンディキャップがあっても中身で負けないという気持ちがあり、少し自分が落ち着いてきたというのはあるかもしれません。

 充実した10カ月間を過ごし、帰国したのは大学4年の5月ころ。周りは皆、就職活動の真っ最中でした。 (あすに続く)

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