2021.4.19 12:00

【ベテラン記者コラム(135)】1984年、スパイクシューズ異譚

【ベテラン記者コラム(135)】

1984年、スパイクシューズ異譚

特集:
記者コラム
ベテラン記者コラム

 1984年9月から10月にかけて、ラグビーのフランス代表が2度目の来日をした。52-0、40-12と圧倒した日本代表とのテストマッチ2戦を含み、5戦全勝と実力を見せつけた。

 CTBフィリップ・セラ、WTBパトリック・エステーブ、FBセルジエ・ブランコらそうそうたるレジェンドにまじって、ジャン・パトリック・レスカルブラというSOがいた(のちにフランスのSO10選に入る。つまり彼もレジェンド)。頬ひげをワイルドに伸ばし、ドロップゴールの名手としても有名だった。

 当時、フランス代表はある海外メーカーと用具契約を結んでいた。ところが、レスカルブラにはスパイクがどうもしっくりこない。ゴールキッカーの役目も負っていただけに、死活問題ともいえる。そこで、フランス協会が日本協会を通じ、国内メーカーにこっそり製作を依頼してきた。滞日中に足型をとり、突貫でつくったという。レスカルブラはプレースキックをトウキック(つま先で蹴る方法。いまではほぼ絶滅)で蹴っていたため、スパイクの先端を平らに、硬く補強した。おかげもあってか、テストマッチ2試合で11ゴール、2PGを決めて帰っていった。

 そのスパイクには、フランスが契約するメーカーのマークも縫いつけられていた。どうやらフランス協会が「違うスパイクを履いているじゃないか」とクレームをつけられるのを嫌がって、それも依頼したらしい。ただし、見る人が見ればどこのメーカーのスパイクかは分かってしまったようだが。

 今だったら、商標やら権利関係やらで大変なことになっていただろう。そもそもフランス協会が依頼することもない。つくづく昭和のラグビーは牧歌的だったと思う。(田中浩)