【ラグビーコラム】
【ノーサイドの精神】東日本大震災の発生から10年。3月13日、岩手・釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで行われたトップチャレンジリーグ(TCL)、釜石シーウェイブス-近鉄ライナーズ戦の舞台裏で、こんなことがあった。
ロッカールームに入った近鉄の選手たちは、ホワイトボードに書かれた「スタジアムスタッフ一同」からのメッセージに目を奪われた。
《本日は釜石鵜住居復興スタジアムにお越し下り、ありがとうございます!。3月は私達にとって特別な月です。復興のシンボルでもある このスタジアムで思う存分力を発揮し、楽しみ、皆様のプレーで勇気と感動を与えてくださる事を願っております》
これに対し、近鉄の選手たちは試合後、こんなメッセージをボードに書き加え、会場を後にした。
《本日は釜石市にとって大切な時期にお招き頂き、ありがとうございました。(略)これからもラグビーを通じて東北の皆様の心の復興に少しで尽力できるよう精進していきます。(略)》
書いたのは、3年目のFL野中翔平(25)と東海大仰星高(大阪)の2年先輩でもあるSO野口大輔(27)。
野中は「実は自分自身は釜石に行くことに葛藤がありました。この大事な時期に行って何ができるのか、と」と明かした上で「メッセージを見て自分たちを受け入れてくださるのだと感じ、全力でプレーすることで何か生まれる、見せられるかもしれないと思うようになりました。それで、野口さんと『“お返し”をしなければいけないな』という話になったのです」と経緯を説明した。
メッセージを書いたスタジアムスタッフの藤原緑さん(58)は「思いが通じたと温かく、うれしい気持ちになりました」と野中たちの気持ちを受け止める。
こうした遠征チームへの“おもてなしメッセージ”は以前から行われていたという。
だが、この試合で「スタッフ一同」は地元・釜石にもメッセージを送っている。
《10年前の3月、住民に寄り添い、黙々と作業を続ける皆さんの姿に私達はどれほど励まされ、そして心強く思ったことか。(略)特別な3月。頑張れ!シーウェイブス!!》
大震災発生後、釜石の選手たちはその大きな体で復旧作業を手伝った。その中には、他競技の外国人選手が一時帰国するのを尻目に「釜石に恩返ししたい」と当時在籍していた外国人選手数人がいたことも忘れたくない。
釜石の選手たちはこうメッセージを残した。
《この時期にこの会場で試合ができたことに感謝です。(略)今後も一緒に釜石を盛り上げていきましょう。(略)》
また一つ、ラグビーが好きになった。(月僧正弥)