2021.3.22 12:00

【ベテラン記者コラム(123)】1987年のオールブラックス

【ベテラン記者コラム(123)】

1987年のオールブラックス

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1987年、来日した世界一のオールブラックスと対戦した日本代表。手を抜かない王国が圧勝した

1987年、来日した世界一のオールブラックスと対戦した日本代表。手を抜かない王国が圧勝した【拡大】

 SOボーデン・バレット(サントリー)やSHのTJ・ペレナラ(NTTドコモ)ら、今季もニュージーランド(NZ)のスーパースターがトップリーグ(TL)にやってきた。彼らのプレーや立ち居振る舞いを見ていると、オールブラックスは昔も今も変わらないと感じる。

 1987年、自国開催(オーストラリアと共催)の第1回W杯を実力通りに制したオールブラックスが、大会後の10月に初来日した。日本代表との2試合(日本側はテストマッチと認定したが、NZ側はしなかった)を含め、5戦5勝と圧倒して去っていった。当時筆者は入社5年目の若手。オールブラックスに帯同する間、いろいろな気づきや学びがあった。

 来日メンバーに18歳のSHグレアム・バショップ(のちにジェイミー・ジョセフ現日本代表ヘッドコーチともにサニックスや日本代表で活躍)が入っていた。話を聞きたかったので、練習後のホテルの部屋を直撃(おおらかな時代だった。今ならNG)した。本人は「いいよ」と言ってくれたが、そこに入って来た同室の選手から「NO!」といわれた。

 誰あろう、このチームの主将、NO・8ウェイン・シェルフォードだった。迫力と圧に負けてすごすごと退散するしかなかった。

 海外遠征のとき、主将は宿舎で個室を与えられるのが慣習。だが、シェルフォードはこの日本遠征では個室を他の選手に譲り、若手と同室になった(おそらく宿舎が変わるごとに相手も変えた)。そこで、オールブラックスとはいかなるものかを行動と言葉をもって伝えていたのだ。そんなDNAをもちろん、バレットやペレナラも受け継いでいるわけだ。

 当時のエースWTBは日本代表も指揮したジョン・カーワン。そんな彼でも試合前、アテンドする関係者に自分のマークする選手の特徴をこと細かに尋ねたという。試合会場に向かうバスの中では、緊張のあまりガムをねだる選手が大勢いた。ちなみに日本代表との2試合のスコアは74-0と106-4。実力が開く相手でも手を抜かない王国の矜持(きょうじ)を見せられた思いがした。

 LOギャリー・ウェットンとSOグラント・フォックスは、当時はやっていた「プッツン」(我慢の限界を超え、正常な判断や行動ができなくなる様子)を教わり、だれかれとなく、頭を指さしながら「プッツン」「プッツン」と叫んでいた。そんなおちゃめな一面もあったことを付け加えておこう。(田中浩)