2020.11.30 12:00

【ベテラン記者コラム(76)】国立競技場が本当の「超満員」になった1981年の早明戦

【ベテラン記者コラム(76)】

国立競技場が本当の「超満員」になった1981年の早明戦

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大観衆で埋まる国立最後となる早明戦のスタンド風景=2013年12月1日、国立競技場

大観衆で埋まる国立最後となる早明戦のスタンド風景=2013年12月1日、国立競技場【拡大】

 12月6日に、関東大学ラグビー伝統の早明戦が東京・秩父宮ラグビー場で行われる。6戦全勝の早大と、5勝1敗の明大の激突は、優勝が懸かる大一番となった。

 かつて早明戦は、旧国立競技場を満員にするイベントだった。1982年は有料入場券発行枚数6万6999枚を記録。イコール観客数ではないのだが、当時は現在のように実数発表する習慣がなく、この数字が国内チームのラグビーの試合では史上最多(テストマッチでは昨年のW杯決勝の7万103人)ということになっている。

 だが、これより多かったといわれているのが前年の81年。早大は76年度の全国大学選手権優勝以降、低迷の時期に入り、77年からは早明戦も4連敗中だった。だが81年は早大の総帥であり、日本代表監督としても69年にオールブラックス・ジュニアを破るなどの実績を残す大西鐵之祐氏が監督に就任。大型FWを擁する明大の下馬評は高かったが、全勝同士の勝負に、「何かが起きる」と期待する早大ファンは多かった。

 そんな熱気が国立競技場に充満した。当時、筆者は大学3年生。観客の1人としてメインスタンドにいた。階段状の通路まで観客がびっしりと座り、トイレに行くにも人をかき分け続けなければならず、試合が終わるまで席を立つことをあきらめた。立錐(りっすい)の余地もないとはこのことか。消防法で規制が増えた現在では考えられないほどの入りだった。

 試合は21-15で早大が5年ぶりの白星。下馬評を覆した勝利は“大西魔術”といわれた。両校選手の一挙手一投足に怒号とでも呼ぶべき歓声が、すり鉢状のスタンドからピッチへと降り注ぐ場面が続いたが、それがぴたりと静まるのが、PGやトライ後のゴールキックを狙うとき。接戦でスタンドは殺気立っていたが、早明ファンのマナーはよく、それも試合の価値を高めたと思う。

 僚紙の産経新聞が6年前に、この試合のことを特集している。

 「(前略)国立の歴史をまとめた『50年の歩み』の『入場者数歴代トップ10』には、この日は入っていない。国立競技場関係者が『東京五輪の開会式、閉会式に次ぐ入場者数だった』と証言するにもかかわらずだ。

 (中略)公式の入場者数は5万4327人とされているが、チケットが取れず、千円札を係員に押しつけ、入場する学生も出るなど計測不能の状況に陥った。

 翌年の同じカードは約6万7000人だったが、『それどころではなかった』(国立競技場関係者)という。(後略)」

 筆者もおおいにうなずきたい。今年の早明戦の観客数はコロナ禍で制限されるが、当時に負けない熱気に包まれることを期待したい。(田中浩)