2020.10.28 12:00

【ラグビーコラム】「ミスターラグビー」の死から4年 改めて思い出すこと

【ラグビーコラム】

「ミスターラグビー」の死から4年 改めて思い出すこと

特集:
ノーサイドの精神
平尾誠二さん

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 【ノーサイドの精神】「ミスター・ラグビー」と呼ばれ、日本代表の監督も務めた平尾誠二さんが2016年10月20日に亡くなってから4年がたった。月日の流れる早さとともに、亡くなったのが53歳の若さだったということに筆者が今月、53歳の誕生日を迎えたこともあり、「この年齢であれだけのことをやってきたのか」と改めて驚いている。

 よく言われているように従来の考えにとらわれない柔軟な発想の人だった。

 平尾さんと初めて間近に接したのは大学生のときだった。所属していたラグビー部が毎週、神戸製鋼の練習に参加させてもらったことがきっかけだった。「パスはスペースに投げろ」「FWは次のポイントまで一直線に走れ」。当時の自分の“常識”になかったアドバイス、教えてもらった戦術はことごとく効果的だった。

 その後、10数年を経て今度は取材者として接することになった。すでに現役を引退し、日本代表監督も退いており、神戸製鋼のGMや総監督として話を聞かせてもらったが、常に冷静沈着で俯瞰(ふかん)的に話をしてくれる平尾さんに試合後のコメントを求めるのは必須だった。

 時期は覚えていないが、「そろそろ変えないといかんのちゃうかな」と国際化をにらみ、秋から冬をメインとしていた日本のラグビーカレンダーの変更に言及する話を初めて聞いたのは平尾さんからだった。今年度からトップリーグは冬から春の開催になる。これも時代を先取りしていた一つの例だろう。

 そんな平尾さんが病と闘っていたことは限られた人にしか知らされていなかった。訃報を知った4年前のあの日、入院先や死因など詳細について何も分からなかった。そこで、ある関係者に連絡したところ、「僕も知らないのだけど、ちょっと聞いてみるよ」と言ってくれたのだが、結局、分からずじまいだった。「平尾さんは弱さを見せない人だから」と関係者。最後の最後まで美学を貫いた人だったと思っている。

 個人的な話をもう一つ。数年前、大きな病気をした。当時の神戸製鋼は長年、優勝から遠ざかっていた時期。筆者の話を真剣な表情で聞いてくれた平尾さんは顔を上げ、「そうか。一緒に復活しような」と手を差し出してくれた。その手は温かく、力強かった。(月僧正弥)