2020.9.21 12:00

【ベテラン記者コラム(46)】国立競技場バックスタンド最前部で見た石塚武生のタックル

【ベテラン記者コラム(46)】

国立競技場バックスタンド最前部で見た石塚武生のタックル

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1975年9月24日、ウェールズ戦の後、胴上げされる石塚武生氏

1975年9月24日、ウェールズ戦の後、胴上げされる石塚武生氏【拡大】

 ラグビーのウェールズ代表が初めて来日したのが1975年秋。「赤い悪魔」と呼ばれ、当時世界最強といわれたチームが日本にやってきた。

 最終戦は日本代表とのテストマッチで、会場は国立競技場(もちろん旧の)。中学3年生だった筆者は約5万人の観客の1人として、胸高鳴らせてバックスタンド中央付近へ。何と前から3番目の席で、陸上トラックを挟んでも選手が間近に見えた。

 試合は悪魔の看板にいつわりなく、ウェールズが日本を蹂躙(じゅうりん)した。PRフォークナー、HOウィンザー、PRプライスのポンティプールFW第1列トリオ。統率力にあふれるNO・8マービン・デービス。独特のステップで相手をあざ笑うかのようにかわすSOベネット。100メートル10秒台の快足WTB、JJ・ウィリアムズ。長い金髪をなびかせて最後尾から攻撃の起点となるFBのJPR・ウィリアムズ…。キラ星のようなスター選手たちが即興的なプレーで走り回り、82-6で大勝。日本代表にとって当時のテストマッチ最多失点となった。

 後半20分、バックスタンド際でJJ・ウィリアムズにパスが回った。「またトライか」とスタンドが落胆したとき、赤白ジャージーの誰かが鉄砲玉のように飛び込んできた。JJの体をとらえると、タッチライン外へ見事に倒した。170センチ、75キロの小柄な“タックルマン”FL石塚武生の真骨頂。筆者の目の前でのできごとだった。

 このタックル一発で、場内の空気が変わった。ノーサイドの笛が鳴り、感激した観客がスタンドの手すりを乗り越えてピッチに飛び降りる。その数、何十人、いや100人に達していたかもしれない。ファンが石塚を囲むと、肩車をして場内を回り、あのタックルへの感謝を示した。

 雨上がりで、滑りやすくなったトラックで転ぶ人も続出したが、そんな光景もあいまって高揚感を覚えた。このとき石塚は、主将を務めた早大を卒業してリコー入りしたばかりで、この試合が8キャップ目。そこからタックルを武器にさらに20キャップを積み重ね、日本最多(当時)の28キャップを誇った。

 その後、伊勢丹監督、茨城・常総学院高監督として指導にも熱を入れたが、2009年8月6日に自宅で冷たくなっている姿を発見された。突然死症候群だったという。その報に接したとき、しばらく信じることができなかった。(田中浩)

  • 石塚武生氏