2020.9.2 12:00

【ラグビーコラム】死去から1年、人種融和の象徴チェスター・ウィリアムズ氏を想う

【ラグビーコラム】

死去から1年、人種融和の象徴チェスター・ウィリアムズ氏を想う

特集:
ノーサイドの精神
チェスター・ウィリアムズ氏

チェスター・ウィリアムズ氏【拡大】

 【ノーサイドの精神】1995年ラグビーW杯南アフリカ大会に同国代表唯一の黒人選手として出場し、初優勝に貢献したWTBチェスター・ウィリアムズ氏が心臓発作のため、49歳で死去してから6日で1年となる。昨年9月開幕のW杯日本大会時には来日する予定だったといい、突然の悲報だった。

 米国で8月下旬、警察官による黒人男性銃撃事件が発生し、スポーツ界を含め、人種差別に対する抗議活動が各地で展開されている。

 同氏は長年、アパルトヘイト(人種隔離)政策が行われていた同国で非白人としては3人目の代表選手。自国開催のW杯での活躍で人種融和の象徴となり、米映画「インビクタス 負けざる者たち」では主要な登場人物の一人となった。

 そんな同氏が同国のスポーツ観光大使として2014年に来日した際、話を聞いた。

 同氏が、かつては白人だけで編成され、「アパルトヘイトの象徴」とされた同国代表に選ばれたのは93年。当時は91年にアパルトヘイト関連法が廃止されるなど人種差別撤廃の動きが加速している時代であり、最初は「本当はうまくないのに私が黒人だから代表に選ばれているのではないかと考えることもありました」という。

 だが、不断の努力で信頼を勝ち取り、同国が「ワンチーム・ワンカントリー」を掲げて戦った95年W杯では準々決勝以降の3試合に出場。4トライを挙げて貢献した初優勝について「街に出れば、肌の色も関係なく、抱き合っている人がいた。『私たちはやり遂げた』という、とても大きな充実感がありました」と人種の垣根を越え、国が一つになったことを実感したと振り返った。

 この優勝から24年。昨年のW杯日本大会で3度目の優勝を飾った同国代表の非白人は10人を超えた。エリス杯(優勝杯)を横浜の夜空に高々と掲げたのは同国代表史上初の黒人で主将を務めたFLシヤ・コリシ(29)だった。

 同氏へのインタビューの最後、「ラグビーで一番大切なものは?」と聞いた。

 「パッション(情熱です)」

 後進への道を切り開いた偉大なラガーマンの答えは自身の生き方を語るように明確だった。(月僧正弥)

 チェスター・ウィリアムズ(Chester Williams) 1970年8月8日生まれ。南アフリカ西ケープ州出身。2019年9月6日、49歳で死去。6歳からラグビーを始め、1993年11月のアルゼンチン戦で同国代表デビュー。テストマッチ27戦に出場し、14トライ。引退後は同国A代表や7人制代表、スーパーラグビー「キャッツ」などのコーチのほか、同国のスポーツ観光大使を務める。現役時代は174センチ、84キロ。