2020.6.19 12:00

【ベテラン記者コラム(6)】30年前の試合に出場していた今は亡き2人に思う

【ベテラン記者コラム(6)】

30年前の試合に出場していた今は亡き2人に思う

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ベテラン記者コラム
大東文化大に勝ち、神戸製鋼7連覇の立役者となった 神戸製鋼・FB平尾誠二さん=1995年1月、国立競技場

大東文化大に勝ち、神戸製鋼7連覇の立役者となった 神戸製鋼・FB平尾誠二さん=1995年1月、国立競技場【拡大】

 NHK・BS1で5月、「あの試合をもう一度!スポーツ名勝負」と題し、1990年代にラグビー日本選手権で7連覇の偉業を達成した神戸製鋼が大東文化大を46-17で下し、最初の優勝を決めた89年1月15日の試合が放送された。

 選手が次から次へとわき出るように現れてボールをつないでいく当時の神戸製鋼のラグビーは、今見てもおもしろかった。そして、端正な顔立ちに華麗で奔放なプレー…この試合に主将、CTBで出場、2016年10月に53歳で亡くなった故平尾誠二さんはやはり格好良かった。

 伏見工高(現京都工学院高)、同志社大、神戸製鋼と歩んできたすべてのチームで日本一に輝き、日本代表の主将、監督も歴任。大成功を収めた昨年のW杯日本大会の招致、準備にも関わった。番組はそんな日本ラグビー界の『レジェンド』の功績を紹介する形で始まり、最後はしのぶ形で締めくくられた。

 だが、実は放送中、個人的には神戸製鋼の別のメンバーの姿にくぎ付けになっていた。

 その人は私より8歳上で、08年11月に心筋梗塞のため49歳で亡くなった左PRの兼平盛輝さん。岩手県出身で、法大から神戸製鋼に進み、大型PRとして活躍。プレースタイルは地味だったが、縁の下の力持ちとして黄金期を支えた。

 そんな兼平さんは30代半ばでラグビーの第一線から引退した後、私が所属していた草ラグビーのクラブチームに入ってくれた。「V7戦士」の気取りをみじんも感じさせることもなく、シャワーもなければ、関係者以外いない土のグラウンドで一緒に楕円球を追い、練習や試合の後は酒を飲み、いろいろな話をしてくれた。その人柄はまさに豪放磊落(らいらく)。一方で、繊細で気の回る人でもあった。

 チームのメンバーには高校などのラグビー部顧問の教師がおり、合同練習をすることもあったのだが、われわれがいつものように「〇〇」と呼び捨てで呼んでいたところ、兼平さんは「生徒の前では『〇〇先生』と呼ぼう」と注意してくれ、その気の使い方に感心したこともあった。

 華麗と地味-。伝説の始まりとなった一戦に出場していた今は亡き2人は、体形も含めて対照的なのかもしれないが、そんな違う個性が「ONE TEAM」になって戦うのがラグビーであり、おもしろさである。(月僧正弥)