2020.6.15 12:21

【ベテラン記者コラム(4)】情熱とアイデアの知将、慶大・上田昭夫氏

【ベテラン記者コラム(4)】

情熱とアイデアの知将、慶大・上田昭夫氏

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ベテラン記者コラム
熱い指導で慶大を率いた上田昭夫氏

熱い指導で慶大を率いた上田昭夫氏【拡大】

 慶大ラグビー部監督だった上田昭夫さんが亡くなって、5年がたとうとしている。

 監督初就任の1984年度に対抗戦優勝、翌85年度には対抗戦4位から大学選手権、日本選手権を制した。知将というイメージが強いが、情熱の人だった。

 84年、伝統の早慶戦の試合直前、あかりを消して真っ暗になったロッカーでライターの炎を見つめさせ、選手たちの集中心を高めた。そしていきなり、ブレザーの胸ポケットの慶大のエンブレムを引きちぎると、「このエンブレムに勝利を誓え!」と大喝。泣きながらロッカーを飛び出したフィフティーンは、12-11で早大を破り、対抗戦優勝を果たした。

 86年1月、大学選手権決勝で明大と12-12で引き分け両校優勝。規定では抽選で日本選手権進出チームを決めなければならない。協会役員に抽選をいつやるか尋ねられた(このこと自体が牧歌的。そういう時代だった)上田監督は、「あすにしましょう」と即答した。「一晩でも、両校の選手に優勝の喜びを味わってもらいたい」という親心からだった。

 その抽選で日本選手権出場権を手に入れた慶大は、成人の日恒例の日本選手権で上田監督が当時勤務していたトヨタ自動車と激突。今度はその試合前のロッカーで、大学選手権優勝の表彰状をビリビリと破り、「おれたちが欲しいのはこんなものじゃない!」と選手たちを送り出した。

 種明かしをすると、エンブレムは胸ポケットにボタンで外しやすくつけていて、破いた表彰状はコピーに色鉛筆で着色したもの。メンタルがいかに試合を左右するかを熟知し、それを高めるためにアイデアと情熱を惜しまず注入した。

 フジテレビのキャスターとしてお茶の間でも広く知られたが、いつ会っても気さくに「今度、こういうことをしてみたいんだよ」と、ラグビー普及のアイデアを熱弁してくれた。アミロイドと呼ばれる異常タンパク質が全身のさまざまな臓器に沈着して、機能障害を起こすアミロイドーシスという難病で2015年7月23日、62歳で亡くなった。生きていればW杯で人気が回復した日本ラグビーを、さらに盛り上げるアイデアを出してくれたに違いない。(田中浩)