2020.1.1 12:04

【ラグビーコラム】報徳学園が最多更新の162得点 45年前の「昭和最多スコア」の衝撃

【ラグビーコラム】

報徳学園が最多更新の162得点 45年前の「昭和最多スコア」の衝撃

特集:
ノーサイドの精神
大会最多得点で勝利した報徳学園=12月28日、花園ラグビー場(撮影・松永渉平)

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 【ノーサイドの精神】あけましておめでとうございます。W杯でおおいに盛り上がった2019年が終わり、2020年へ。今年もよろしくお願いいたします。

 新春からラグビーは花盛り。元日は全国高校ラグビーの8強が決まる。99回目の今大会、とてつもないレコードが生まれた。報徳学園(兵庫)が1回戦で山形中央(山形)から162得点。従来の記録、2016年度2回戦の東福岡(福岡)139-0浜松工(静岡)を23点も上回る、大会最多得点記録を打ち立てた。

 これも大会最多となる24トライを奪っているから、2分30秒で1トライを挙げた計算になる。「自分たちのラグビーを全うすることが最高得点につながった」と、2年生から高校日本代表に選ばれ、この日も桁外れのスピードで走り回ったFB山田響主将(3年)は淡々と話した。

 高得点記録について、手元で集計しているデータで調べてみた。今大会2回戦までで、100点ゲームは通算27試合。そのうち、今大会で3試合、つまり令和でマークされたのも3試合というわけだ。残る24試合は全て平成に記録された。では、昭和の最多得点は? たどっていくと、1974年度の第54回大会1回戦に行き当たった。

 大分舞鶴(大分)82-0石巻工(宮城)がそれだ。大会参加は32校で1県1校ではなく、それだけ出場チームはエリミネートされてきた。ラグビーブームにさしかかったところで、参加校も今より多かった。

 ルールも、タックルされたら瞬時にボールを離さなければならず、今のようにボールを置き直したりすればペナルティーを取られる。ブレークダウンなどという概念はもちろんなく、タックルされた後のボールには、ラックができていなければだれがどこからアプローチしてもよかった。何より当時はトライが4点。82点の内訳は13トライ12ゴール2PGだったので、トライ5点の今なら95点の計算だが、今以上に支配をし続けたという印象は強かったはずだ。大分舞鶴は余勢を駆って、全国初優勝まで駆け上がった。

 それ以前の最多得点記録は1971年度、第51回大会1回戦の目黒(現目黒学院)59-0広島工(広島)。当時は開幕が元日だったから、正月早々の82点の衝撃はきっと、すさまじかっただろう。

 ちなみに、その5大会後には、大工大高(現常翔学園、大阪)が旭川龍谷(北海道)を80-0で下しているが、このときの17トライが“昭和最多”となる。

田中 浩(たなか・ひろし)

「田中 浩」イメージ画像1983年入社。ラグビーブーム全盛期に担当を約10年、その後デジタルメディア、ボクシング担当、アマ野球担当などを経て2008年から運動部一般スポーツ担当デスクを務め、14年秋に二十数年ぶりにラグビー取材の現場に復帰。秩父宮ラグビー場でトライ(高校都大会決勝)と東京ドームでヒット(スポーツ紙対抗野球)の両方を経験したのがプチ自慢の59歳。