競馬の祭典・日本ダービーが28日、東京競馬場で行われる。皐月賞7着トップナイフ(栗東・昆貢厩舎、牡)とコンビを組む日本ダービー2勝の横山典弘騎手(55)=美浦・フリー=に単独インタビュー。昨年に続いて親子3人で参戦し、勝てばJRA史上最年長ダービージョッキーとなるベテランが、前走の振り返りや、自身にとってのダービー、相手関係など、大一番に向けて胸の内を激白した。(取材構成・丸橋正宣)
◇
--初めてトップナイフに乗ったときの印象は
「昨年の昆厩舎の2歳で一番いい馬だったけど、足りない部分も多くて完成には時間がかかると思った。(初コンビの)野路菊Sは負けた(4着)けど、まだ走れない体だった」
--成長過程は
「弱点が多かったから、調教と競馬を通していろいろなことを教えながらやってきた。何事もなく順調にきたのが一番だよ」
--弱点とは
「ひとつは馬群で競馬をすること。他の馬を気にするところがあったから、『競馬は怖くない』ことを教えてきた。その成果があって、弥生賞(ディープインパクト記念、2着)でもインの狭いところから抜けてきた」
--皐月賞は7着
「ゲートで後肢を滑らせた。仕方ないよ。いつもポンと出る馬が出遅れたから、馬自身も少し戸惑っていた」
――残念な形になった
「ちょっと面白いこと教えてやるよ。前走は前に行きたい馬が多くて『ゲートを五分に出たら、タフな流れに巻き込まれる』と思って、どうしようかずっと悩んでいた。もちろん負けに行くわけじゃなくて、100%の力を出し切ってしまえば、いろんなところに傷みが出ると思ってな。そうしたら導かれるように出遅れた。自分の形ではないけど、大きく負けもしなかった。ダメージを大きく残さずにここを使える、という意味ではラッキーだった」
--横山典騎手にとっての日本ダービーとは
「普通の芝2400メートル。『ダービーは特別』なんて言うけれど、レースに行けばダービーでも未勝利戦でも緊張する。(メジロ)ライアン※のときも緊張したけど、またがったときに『何もしなくていいぞ』って馬に言われた気がして、そこで落ち着けた。負けた(2着)けどな。緊張していてもしっかり乗れるかが大事だよ」
--昆調教師との出会いは大きかった
「(2017年に)アンジュデジールの関東オークスでクイーンマンボにぶっちぎられたとき、正直『勝てるわけがねえ』と思った。でも、先生は『この馬(アンジュ)には先がある』って言ったんだ。俺も、若い頃は負けたら悔しくてガーッとなる時期はあったけど、全てうまくいっても負けることはある。成長して能力が上がれば、かなわなかった相手とも戦えるようになるから、先を考えて乗ることを教わったな」
--能力だけではない
「オルフェーヴルとかディープインパクトみたいな『こんだけやっても駄目か』と思う馬もいる。でも、順調に使えて成長すれば、いつか勝つチャンスは来るんだよ」
--改めて意気込みを
「普段から、ずっと馬のことを見てきた。距離だってもつと思うから使うんだ。今年は抜けた馬がいないと思っているし、トップナイフにも勝つチャンスはある。ずっとやってきたからこその思いがあるよ」
■横山 典弘(よこやま・のりひろ) 1968(昭和43)年2月23日生まれ、55歳。東京都出身。父・富雄、兄・賀一ともに元JRA騎手。1986年3月に美浦・石栗龍雄厩舎所属でデビュー。2009年に史上5人目となる2000勝を達成し、10、12年にJRA賞最高勝率騎手を受賞。23日現在、JRA通算2919勝で重賞184勝(うちGⅠ27勝)。11年に長男・和生、17年に三男・武史がJRA騎手としてデビュー。
※メジロライアン 横山典騎手を背に1990年弥生賞で重賞初勝利、皐月賞は2番人気で3着。迎えた日本ダービーは1番人気に支持されたが、アイネスフウジンに逃げ切られ、追い込み届かず1馬身¼差の2着だった。翌年の宝塚記念でGⅠタイトルを手に入れた。
◇
◆2年連続3人での大舞台…息子の横山武史騎手(24)=美浦・鈴木伸尋厩舎=は皐月賞を快勝したソールオリエンス、横山和生騎手(30)=美浦・フリー=はスプリングS勝ち馬のベラジオオペラに騎乗。2年連続で親子3人での日本ダービー騎乗となる。「(息子が)GⅠを勝てば、一人の親としてうれしいのはうれしいよ」と父の顔をのぞかせるが、競演については「俺たちには関係ない。それぞれがしっかりと与えられた仕事をして、大きい舞台に立つ。それだけだ。あいつらもそうだろうけど、自分のことで精いっぱいだよ」と勝負に徹する姿勢だ。
◆勝てば記録更新…日本ダービーの最年長優勝騎手は、昨年ドウデュースで制した武豊騎手で53歳2カ月15日。今年2月に55歳となった横山典弘騎手が勝てば、この記録を更新する。