橋口弘次郎調教師(当時)からいただいたドバイ優勝記念ブルゾン。左がドバイシーマクラシックを制したハーツクライ。右はゴドルフィンマイルを勝ったユートピア 【日曜阪神11R・阪神大賞典】
ひいきの居酒屋では、今週もお客さんの誰もがワールド・ベースボール・クラシックの話に夢中だった。前日に日本が準決勝進出を決めたから、どの席も野球談議で盛り上がっている。
「大谷が…」
「岡本が…」
「ダルビッシュが…」
「村上が…」
「今永が…」
「ヌートバーが…」
「大勢が…」
「メキシコかプエルトリコか…」
準決勝の相手だね。
16日のイタリア戦の視聴率は48.0%で、今年の視聴率1位とWBC中継の記録を再び更新したそうだ。
そんな狂騒曲の中、カウンター席で僕は、3月9日に22歳で死んだハーツクライを追悼しながら静かに飲んでいた。
2003年の夏だった。北海道千歳市の社台ファームへ2歳馬の取材に出かけた。
「脚の格好がヘンになっちゃったよ」
その声に振り返ると、調教主任が1頭の2歳馬にまたがってニヤニヤしていた。
「脚?」
「ガニ股になってるだろ?」
確かに、良く見るとそのようだ。
「父はサンデーサイレンスで、おかあさんはアイリッシュダンス」
それがハーツクライとの初対面だった。
母アイリッシュダンスが大好きだった。新潟記念、新潟大賞典を勝っているが、最も印象に残っているのは、橋本広喜が騎乗した1995年の産経賞オールカマー。女傑ヒシアマゾンを破ってほしいと応援した(結局はヒシアマゾンのクビ差2着)。そんな思い入れのある母の子なので、その日のハーツクライの調教での走りに注目した。ひいき目だったからか、素軽いけどダイナミックなフットワークが印象的で、クラシックディスタンスにぴったりな感じがしたものだ。
その時のメモにこうある。
<東調教主任「見た目はきれいなサンデーサイレンス産駒に見えるが、本質的に動きは(母の父)トニービンという感じ。奥手かなという感じがする」
ハーツクライは翌年1月のデビュー戦を勝ち上がり、若葉Sを勝って優先出走権を得た皐月賞に出た。僕は馬体を評価できるほどの目を持ち合わせていないが、パドックで見たハーツクライの姿に首を傾げた。パッとしないのだ。結果は14着。勝ったのは同じ社台ファームの生産馬ダイワメジャーだった。
ところが、京都新聞杯で再び会ったハーツクライは別馬と思えるほど素晴らしかった。馬はここまで変わるのかと驚くほどだった。安藤勝己に導かれたハーツクライは、鋭い末脚を発揮して自身の力を誇示した。輝きを取り戻したハーツクライに日本ダービーでも勝負になるのではと思ったが、相手が悪かった。安藤勝己にはキングカメハメハという頼もしい相棒がいたからだ。
横山典弘に乗り替わって日本ダービーに向かったハーツクライだが、キングカメハメハにかなわず2着。橋口弘次郎調教師は、ダンスインザダーク(96年)に続き、またしても2着と苦汁をなめることになった。橋口師はその後、さらに2度のダービー2着(リーチザクラウン=09年、ローズキングダム=10年)をへて、14年に悲願のダービー制覇を果たすのだが、栄光をもたらしたワンアンドオンリーがハーツクライの子で、手綱を取ったのがハーツクライのダービーでも騎乗した横山典弘なのだからドラマチックと言わずしてなんと言おう。
JRAが3月10日に発表した、社台ファームの吉田照哉代表の追悼文は心にしみた。吉田照哉代表もハーツクライが大好きだったことが伝わる。JRAのリリースで感動したのは初めてだった。長いが、ぜひ読んでほしいので全文を原文のまま掲載する。
<ハーツクライが昨晩、力尽きました。最期の最期まで気高く、弱みを見せずに旅立ったと社台スタリオンの担当者から聞きました。
育成期は足を振るような独特な歩様ながらも、調教走路で見せるバネの違いは明らかでした。それまでも多くのサンデーサイレンス産駒を手掛けてきましたが、跳ね方、敏捷性、推進力がケタ違いで、かなり自信を持って橋口弘次郎調教師にお渡ししました。
競走生活のハイライトはやはり4歳末から5歳にかけての3戦でしょうか。ディープインパクトを抑えた有馬記念。相手が相手だけに、その後、ハーツクライにダーティーなイメージがつくことを心配したのですが、次戦のドバイシーマクラシックの圧勝で、日本の競馬レベルがとてつもないところに進んでいることを証明してくれて、関係者、ファン、メディアの方を含めて皆さんが喜んでくれた。その姿を目の当たりにして私自身もこれ以上ないくらいに感激しました。普段はあまり声を出さずにレースを見るのですが、周囲は外国人関係者ばかりだったということもあり、最後の直線を迎えたところで、この時ばかりは橋口調教師とともにもっと離せ、もっと離せ!と熱く叫んだことを思い出します。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスでもアスコット競馬場のゴール前で先頭に立ち、世界トップクラスと互角に戦ったシーンは、この業界にいるすべての方々を勇気づけたと思います。
種牡馬入りしてからも活躍馬を多数輩出してくれました。ハーツクライ自身と同様にアウェイに乗り込んでもパフォーマンスが落ちるどころか、むしろ強さを見せつける産駒が多く、海外遠征の高い壁や不安を突破してくれるきっかけとなった馬かもしれません。
種牡馬引退後は放牧地で悠々自適に過ごしてくれていました。やっと訪れたこの快適な生活をもっと長く満喫して欲しかった、いつまでも生き続けて欲しかったのですが、突然の別れとなり残念でなりません。ドバイ国際競走を前に、このような知らせとなり何とも言えない因縁めいたものを感じております。
ハーツクライ、心の叫びという馬名も威圧的な雰囲気と相まって、とてもしっくり来るものでした。勝ったレース、負けたレースも含めて色々な景色を見せてくれました。感謝しています。どうか安らかに眠って欲しいと思います。
携わってくださった全ての関係者方々、応援していただいたファンの皆さま、配合相手に選んでくださった生産者の皆さま、この場を借りて厚く御礼申し上げます。今まで大変お世話になりました。ありがとうございました。
「ハーツクライ、ハーツクライ…あんまりいないなあ」
桃ちゃん、なにやってるの?
「日曜日の重賞出走馬にハーツクライの血が入っている馬を探しているんです」
「“死んだ父の子は走る”って格言がありますもんね」
「そういうこと! ひーちゃん、わかってるー」
「先週の重賞では、ジャスタウェイ産駒の11番人気ジューンオレンジがフィリーズレビューで3着でした。金鯱賞では母の父ハーツクライの6番人気アラタがこれまた3着」
「どっちも人気薄だね」
この流れで、そこまま予想に入ろうか。
「ですね。勝負レースはスプリングSと阪神大賞典のどちらです?」
阪神大賞典にしたよ。
「今週、予想を披露する順番は?」
僕、桃ちゃん、ひーちゃんの順でよろしく。
「では私から。スプリングSはセブンマジシャンです」
だと思ったよ。父の父がハーツクライのジャスタウェイ産駒だからね。
「もちろん、それだけじゃありません。前走の京成杯を見ましたよね? 直線で2頭の馬に邪魔されているんです。2回も邪魔されてなければ、ソールオリエンスに勝てたとは言いませんが、2着はあったと思います。スムーズな競馬ができれば勝てます」
阪神大賞典の本命は? まさかジャスタウェイ産駒のノーチカルチャート?
「さすがにこの馬は厳しいかな。ディープボンドの3連覇に期待します。有馬記念は、すごく不利といわれる大外からの発走で8着。健闘だと思います。有馬記念からのローテは去年と同じだし、連覇のときに手綱を取っていた和田竜二さんに戻るのもいいと思います」
ありがとう。
次は僕の番。まずはスプリングSの予想を少々。本命は2戦2勝のベラジオオペラ。勝った2戦はどちらも今回と同じ1800メートル。競馬っぷりを見るとレースセンスの良さを感じるし、前走は力の違いを見せつけるものだった。内枠に入ったので、今回も好位でスムーズな競馬を見せてくれるはずだ。
本命ベラジオオペラ、対抗セブンマジシャン、3番手ホウオウビスケッツ、以下ジョウショーホープ、アイスグリーン、オールパルフェ、オウゼ。
さて、勝負レースの阪神大賞典だ。
本命はボルドグフーシュ。菊花賞はハナ差2着で、有馬記念は年度代表馬にはかなわなかったけど、こちらも2着。なにより社台ファーム代表の吉田照哉さんが、菊花賞の数週間後に「来年はめちゃめちゃ走ると思う」と太鼓判を押した馬。その“予言”が現実になると思ったのが有馬記念の2着だった。
とにかくスタミナ勝負の長距離戦ならどんと来いというタイプなので、阪神芝3000メートルはもってこいの舞台だ。鞍上は、今年の連対率が先週の競馬が終わった時点で驚異の5割9分を誇る川田将雅。この週中も地方交流重賞を3日連続で勝っている。今、乗りに乗っている鞍上を配したのも、陣営が、ここで勝ち癖をつけて本番の天皇賞・春に臨みたいと思っているからだろう。
ひーちゃん、よろしく。
「まずはスプリングSの予想を少々(笑)。前に行きたい子がたくさんいるので、ペースが速くなると見ました! というわけで、人気なさそうですがトーセンアウローラを狙います。前に行く子の多くが少頭数のレースを多めに走っていますが、アウローラさんは多頭数のレースで上がり最速、タイム差なしの2着というのがいいです。しかも、新馬戦では今回と同じコースで、セブンマジシャンの2着だったんですよ。あとは、ゆきとくんのジョウショーホープを自動購入。2019年にこのレースを勝ってるんです」
えーと…。
「エメラルファイトです! うっ、思い出したら涙が…」
思い出に浸る前に阪神大賞典の予想をよろしくね。
「……こちらは堅そうですね。人気は3強かな。私はジャスティンパレスを本命にします。前走の有馬記念は、最後荒れた最内を走ることになり、展開も向かなかったので見なかったことにします。やや人気が落ちるなら、あえてこの子を選ぼうかなあと思います。あと、阪神大賞典はリピーターが絡む傾向にあるので、去年2着の◯アイアンバローズくんも楽しみです。この2頭で決まれば、兄弟ワンツーです」
ありがとう。
「馬券を仕込んだ後は、のんびりメロちゃんを見て和もうと思います」
メロちゃんてメロディーレーンのことだね。それは分かった。
「そういえば、LINEの人の先週はどうだったんです?」
重賞は外したみたいだけど、日曜中山10Rの3連単を3頭ボックスで取ったって。
「中山10Rの3連単は…4万8180円」
それを6点で取るんだから天才だよね。
「LINEの人、今週は阪神大賞典でアケルナルスターを絶対買うと思います」
ひーちゃん、なんでそう思うの?
「この馬、LINEの人が有馬記念の日の中山で超万馬券を当てたきっかけの馬ですよね。“開ける穴スター”だって(笑)」
そうだった。
「今週はLINEの人の買い方に注目ですね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
主な登場人物
ミチヤ…ひいきの居酒屋の店主。ずぶの素人から、どこまで競馬に興味を持ってくれるか
桃ちゃん…ひいきの居酒屋のアルバイト。馬券のセンスが抜群の競馬女子(UMAJO)。ちなみに、居酒屋ブルースのUMAJOは、酒場のあすピー→バイトのマヤ姉(ねえ)→桃ちゃんと変遷
LINEの人…謎の人物
ひーちゃん…Gallopエッセー大賞受賞者。石川裕紀人推し
この記事をシェアする