一流ホースマンと多くの活躍馬を育てた池添兼雄調教師が、今月いっぱいでホースマン生活の幕を下ろす 〝努力に勝る天才なし〟。この言葉を座右の銘にする池添兼雄調教師(70)が競馬人生を振り返った。
「長いようで短かったね。オーナーさんをはじめ、生産者、騎手、(厩舎)スタッフ、そしてファンの皆さんに感謝、感謝だよ」
大久保石松元調教師のもとで1974年3月に騎手デビューし、同年4月からは先月21日に亡くなった大久保正陽元調教師に師事した。「がちゃがちゃ言う先生ではなくて、自分らで乗って勉強せい、という感じだったね」と懐かしむ。
障害で活躍して、130勝をマーク。84年にはメジロジュピターで春の中山大障害を制した。「関東の厩舎から依頼されて乗りに行くことは、まず障害ではなかったからね。大久保洋吉(元)調教師には感謝ですわ」としみじみ語る。
平地では55勝にとどまった。しかし、大久保正厩舎に所属した天皇賞馬エリモジョージの〝準・主戦〟として手綱を取り、オープンを勝ったこともある。
97年に調教師免許を取得し、99年に開業。同年12月に阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)のヤマカツスズランでGⅠ初勝利を飾った。だが、同馬はその後、ビッグタイトルを取れず「自分が1年目で大事に在厩で扱ってしまったね。浅はかだった」と振り返る。その後はそうした失敗経験も生かし、重賞で18勝を記録した。
馬だけでなく、人も育てた。長男の謙一騎手はJRAでGⅠ・27勝を挙げ、次男の学調教師は昨年のホープフルSでGⅠ初制覇を飾った新進気鋭。弟子の松山弘平騎手も昨年の全国リーディングで4位と輝かしい成績で、厩舎の調教助手を務めた橋口慎介、上村洋行、茶木太樹の3人は調教師に転身した。「調教師がだらしないから、みんなしっかりしたんだと思う」と豪快に笑いつつ、「彼らの努力だよ」と目を細める。
18日には京都牝馬Sのメイショウミモザ、ダイヤモンドSのメイショウテンゲンと東西で重賞に出走予定。引退後については「夏の北海道で馬券を買いたい」とプランを立てている。温かな人柄で馬に、人に愛され、たゆまぬ努力をし続けてきた全ての日々がかけがえのない宝物だ。(増本隆一朗)
◆池添謙一騎手「僕が騎手になると決めたときは、父が騎手から助手に転身したとき。そんな僕を手助けするために調教師を目指してくれました。ジョッキーとして調子が悪かったときも、父の後ろ盾があったから頑張ることができました。これからは子供たちの活躍を応援してくれれば、と思います。お疲れさまでした」
◆池添学調教師「70歳とは思えないぐらい元気で、引退するのがもったいないと思うぐらいです。今後は健康に気をつけて、子供たち、孫たちの活躍を見てほしいなと思います。お疲れさまでした」
■池添兼雄(いけぞえ・かねお) 1952(昭和27)年10月22日生まれ、70歳。鹿児島県出身。騎手時代は通算185勝(平地55勝、障害130勝)。92年3月に栗東・鶴留明雄厩舎で調教助手となり、97年に調教師免許を取得。99年に開業して6日現在、JRA通算433勝で重賞18勝、うちGⅠ・1勝。
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