1990年から日本初となる洋芝コースの運用を開始した札幌競馬場。寒地型洋芝の導入は中央競馬の歴史で大きな変革の一つだ (写真は昨年の札幌記念) 中央競馬の歴史で大きな変革の一つに寒地型洋芝の導入が挙げられます。ダートコースのみだった札幌に日本初の洋芝のコースが誕生し1990年からレースが行われ、函館競馬場では暖地向きで当地が北限といわれる野芝に代わって95年から洋芝で開催。他の競馬場では91年の阪神から順次、寒い時期は枯れてしまう野芝の上に洋芝の種をまくオーバーシードと呼ばれる方法で芝コースの通年の緑化が実現しました。岡部さんが洋芝、オーバーシードのコースを解説します。
オーバーシードのコース誕生により厳寒期でも多くの芝レースが可能に
オーバーシードによって年間を通して緑のターフで競馬ができるようになったのは画期的なことだと思う。
1980年代はじめまでの1、2月の厳寒期は長い間、芝のレースは重賞、新馬戦などごく一部しか組まれなかった。全レースがダートという日も珍しくなく、現在、重要視されている1月の若駒S(リステッド、芝2000メートル)、2月のエルフィンS(同、芝1600メートル)といったレースもなかった。
芝コースがあるにもかかわらずダート戦ばかりではファンも物足りなかったと思うが、かといって野芝は寒い時期は枯れてしまうので、乾燥した日はクッションが利かなくなり、馬の脚部に負担がかかった。
地域による差もあるが、野芝だと鮮やかな緑という状態でレースができるのはだいたい4月から10月まで。枯れて茶色になった芝でのレースは見栄えという点でも評判がよくなかった。
それが今では厳寒期でも1日あたり半数近く芝のレースが組まれるようになっている。これによって選択肢が増え、芝向きなのにダート戦に出走せざるを得ないというようなことも減少。技術の向上でオーバーシードされたコースができたことが大きいと思う。
私が初めて洋芝のレースに騎乗したのは…※この記事は「有料記事」です。 残り925文字 「ゴールドパック」、「シルバーパック」のご購入で続きをお読みいただけます。