2005年の中央競馬は、無敗の3冠馬ディープインパクトの活躍が話題を一身に集めた。そして、同じ世代に生まれて同じ黒、青袖、黄鋸歯形の勝負服の騎手を背にダート路線を席巻したのがカネヒキリ。ディープよりおよそ1カ月早く生まれ、セレクトセールで2100万円という〝お買い得〟だった栗毛馬は芝での3戦こそ大敗したが、ダートでは無敗のままユニコーンS、ジャパンダートダービー、南部杯と勝利を積み重ねていった。
だが、4歳になってドバイワールドC4着、帝王賞2着と連敗した後に、屈腱炎を発症。5歳秋にも再発し、復帰したときには実に2年5カ月もの月日が流れていた。復帰初戦の武蔵野Sは9着。すでにディープインパクトが現役を退いた後に戻ってきた〝砂のディープ〟にとって、道のりは決して楽なものではないと思われた。
そんな中で迎えたのが08年のジャパンCダート。初めてクリストフ・ルメール騎手とコンビを組んだカネヒキリは、同レース初めての関西地区開催となった阪神の舞台で類いまれな勝負根性を発揮し、メイショウトウコンの追撃をアタマ差振り切って鮮やかな復活劇を成し遂げる。不屈の闘志と、難病を乗り越えての戴冠は、奇跡と称された。
その後も東京大賞典、川崎記念とビッグレースを立て続けに制しながら骨折に見舞われ、再び1年以上の休養を余儀なくされたが、8歳時にマーキュリーCを勝って12勝目をマーク。ファンの感動を呼んだ。05年と08年、間に2年もの期間を挟んでJRA賞最優秀ダートホースを受賞したことは極めて珍しいケースだ。
種牡馬入り後はミツバ、ロンドンタウン、テーオーエナジーといった重賞ウイナーを送り出した。記事初出の時点では、JRAで挙げた産駒175勝の内訳がダート173勝、障害2勝というもの。自身と同様、全ての産駒に極端な砂適性を伝えていた。種付け中の事故によって14歳の若さで世を去ったが、不治の病といわれた屈腱炎を克服しての大活躍が色あせることはない。(記事初出は2022年11月)
■カネヒキリ 父フジキセキ、母ライフアウトゼア、母の父デピュティミニスター。2002年2月26日生まれ。北海道早来町(現・安平町)・ノーザンファーム生産。現役時の所属は栗東・角居勝彦厩舎。通算23戦12勝(うち地方9戦5勝、海外1戦0勝)。
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