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【高橋信之コラム】失われた楽園を求めて! ロストパークマニア

【高橋信之コラム】

失われた楽園を求めて! ロストパークマニア

特集:
高橋信之
東京湾上空視点の船橋ヘルスセンター(部分)、右下の桟橋には海賊船風のクルーザーが見える。

東京湾上空視点の船橋ヘルスセンター(部分)、右下の桟橋には海賊船風のクルーザーが見える。【拡大】

 もう半世紀以上前の話だが、1955年は、世界の遊園地レジャーの歴史において、大きなふたつの出来事があった記念すべき年だった。

 この年、7月17日にはロサンゼルス市に近接するアナハイム市に世界初のキャラクターテーマパーク「ディズニーランド」が開園した。

 いまでは世界6カ所のロケーションで展開する「夢の魔法の王国」の進撃は、ここから始まったのだ。

 そして11月3日には東京都に近接する船橋市に世界初の温泉テーマパーク「船橋ヘルスセンター」が開園した。福島の炭鉱地で開業した「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアン)」に先駆けること11年、船橋にはかつてない「湯気とはだかの王国」が出現していたのだ。

 すでに日本各地に温泉郷は戦前から存在していた。

 箱根、草津、有馬、道後、別府などなど火山国ニッポンでは、各地に名湯がある。だが、それらはどれも歴史ある湯元や湯治場を基盤にした温泉郷。

 対して「船橋ヘルスセンター」は、いきなり東京湾の地下温泉源を求めて千メートル以上を掘り進んで湯元を確保した人工温泉だった。

 ウォルト・ディズニーがアナハイムのオレンジ畑を買い取って人工の池や川を作りコンクリとベニヤ板で城を建てていたとき、日本ではひたすら温泉採掘を行っていたのだ。

 こうして開園した船橋ヘルスセンターの陣容は決してディズニーランドにひけをとらないものだった。その敷地面積は12万坪でメインの温泉施設だけで1万坪、敷地には遊園地、ボウリング場、ローラースケート場、人工海浜プール、室内プール、レースサーキット、大型スライダープール/人工スキー場などが作られた。なんと飛行場もあって、遊覧飛行も楽しめたのだ。

 ディズニーランドは敷地面積は42万坪だったが、開園当初のパーク部分だけだと9万坪、回りの駐車場などを含めての広さだった。

 まさに東洋一の「湯気とはだかの王国」だった。

 そしてどちらのパークも常に新しさを求めて拡張工事を進めた。

 開園の数年後にはどちらにもモノレールが敷設された。またディズニーランドの海賊船は園内の人造池に浮かんでいたがヘルスセンターでは東京湾を越えて竹芝桟橋から船橋まで海賊船型のクルーザーを運航させた。

 映画『フラガール』のモデルとなった「常磐ハワイアンセンター」は、この「船橋ヘルスセンター」の成功を追いかけて、10年後にスタートしたプロジェクトだった。

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  • 開園当初の第1期施設。この時期では、6千坪の建設と小さな遊園地だったが、奧の海沿いにセスナ機用の滑走路が用意されていた。
  • 家族向けに用意された遊園地。ここだけだと「浅草花やしき」程度だ。
  • 堤防を作って海水を引き込んだ人工海浜プール。東京湾の水質汚染に対抗して海水除染が行われていた。
  • 当時の記念絵葉書から人工海浜プールのこどもプールの様子がわかる。
  • その後、埋め立てが進み陸地が造成された。右上の船は土砂運搬船で、手前のトラックはレースサーキット(後の船橋オートレース)となる。
  • スライダープール「大滝すべり」は、冬には人工スキー場となった。バブル期には、この地に「スキードームザウス」が作られた。
  • 引き詰めた樹脂の上をすべる人工スキー場。
  • 竹芝桟橋から東京湾を渡ってきた海賊船風のクルーザーが当時の子どもには憧れだった。
  • この遊覧飛行機は、海水浴シーズンになると近隣のビラをまく宣伝飛行もしていた。
  • ディズニーランドを意識しつつ、当時は未来の乗り物として人気だったモノレールも作られた。