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【二十歳のころ 青木功(4)】妻のチエと二人三脚で挑んだ海外遠征

【二十歳のころ 青木功(4)】

妻のチエと二人三脚で挑んだ海外遠征

特集:
二十歳のころ
1979年、2年連続で世界マッチプレー選手権を盛り上げた青木(右)。夫人のチエさんの表情は明るかった

1979年、2年連続で世界マッチプレー選手権を盛り上げた青木(右)。夫人のチエさんの表情は明るかった【拡大】

 俺のゴルフ人生の最大の転機は、海外に出たことだ。国内で勝つようになって、いつかは海外に行きたいと思うようになった。好奇心だよ。

 1968年の「日本プロ」で3位になって、69年にアジア各国の大会を回る「アジアサーキット」の出場権をもらった。台湾の大会に出場してからの帰りの飛行機で、上空から見た日本は夏のゴルフ場なら青々としているのに、すごく茶色だった。3月半ばころだったと思う。じゃあ、ハワイはどうか、米国というデカイ国には何があるのか…と、興味がわいてきたんだ。

 いつか行ってみたいと思っていたら、74年に「マスターズ」に初めて招待された。18番ホールはどうやって歩いたかを覚えていない。浮き足立ってね、いつの間にかグリーンにいた。ものすごい興奮状態だった。その年は予選落ちだったけど、「マスターズに行く」という一つの目標を持って、14回行くことができた。やろうとすればできるんだなと。

 海外では、妻のチエ(宏子夫人)に支えられた。プロ初優勝した「関東プロ」(71年)のウイニングボールが、彼女の娘で当時4歳だったジョエンの足元に転がったことが出会うきっかけになった。

 その後、沖縄での大会で「この間、ボールをもらった」といわれて知り合い、交際するようになった。そして「(75年の)マスターズについてきてくれる?」と聞いたら、「いいわよ」と。米国や英国など英語社会で自分は何もできないから、英語が話せる彼女にヘルプしてもらった。

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