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【二十歳のころ 青木功(3)】ジャンボとの競争こそ「ゴルフ人生の真ん中」

【二十歳のころ 青木功(3)】

ジャンボとの競争こそ「ゴルフ人生の真ん中」

特集:
二十歳のころ
1973年ごろの青木(左)と尾崎。“両雄”がその後のゴルフ界を背負い、盛り上げた

1973年ごろの青木(左)と尾崎。“両雄”がその後のゴルフ界を背負い、盛り上げた【拡大】

 1964年2月に2度目のプロテストを受けた。予選1次の初日は82。「やっちゃった」と思ったけど、何とか突破して、2次も通って最終予選に行った。

 千葉・鎌ヶ谷カントリークラブで76、71の147。304が合格ラインだったから、次の埼玉・大宮ゴルフコースでの残る2ラウンドは157で良かった。

 ところが午前で80の大たたき。「くそっ、冗談じゃねぇ」。午後は16番まで4オーバー。残り2ホールをパーで回れば156で合格となるところで、17番の第2打がグリーン左のバンカー。ボギーなら後がない。震えながらバンカーショットを放つとグリーン手前に落ちて転がり、ピンに当たってカップに吸い込まれた。バーディーで貯金は2打。最終18番では第1打をチョロしたけど2ストロークの余裕を残して合格できた。

 プロにはなったものの、ゴルフをやめてプロボウラーになろうと思ったこともある。

 当時は「関東プロ」で予選落ちすると、1年間試合がなかった。世は中山律子さんが登場するなどボウリングブーム。飯能ゴルフクラブ(GC)での研修生時代、近くの天覧山にボウリング場があって毎日15~20ゲーム投げていたらアベレージ200とうまくなった。

 ゴルフの月例会がある3、4日前に練習をして最初はそれでいいと思っていたけど、ある時、我孫子GC出身のプロ、佐藤精一さんから「バカヤロー! 1日や2日練習しただけじゃ駄目だ」と怒られたよ。

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