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東映グループ岡田裕介会長が急逝 「いのちの停車場」打ち合わせ中に倒れる

東映グループ岡田裕介会長が急逝 「いのちの停車場」打ち合わせ中に倒れる

2015年の日本アカデミー賞の発表会見に登場した岡田裕介氏(中央)。西田敏行(左)、真木よう子(右)と並び、映画界の重鎮らしい風格をにじませていた

2015年の日本アカデミー賞の発表会見に登場した岡田裕介氏(中央)。西田敏行(左)、真木よう子(右)と並び、映画界の重鎮らしい風格をにじませていた【拡大】

 70年代半ばからはプロデューサーとしても活躍。故高倉健さんと吉永の初共演作となった「動乱」(80年)などを製作し、88年に東映入社。吉永の主演作を多数企画し、「北の零年」(2005年)、「北の桜守」(18年)では製作総指揮として手腕を発揮した。

 2002年から社長、14年から東映グループ会長や日本映画製作者連盟会長を務め、父親同様、日本映画界の発展に貢献。岡田親子を知る関係者は、裕介氏について「年齢を重ねるごとに気さくで話し上手な茂さんと似てきた。偉い人なのに誰に対してもフランクで、映画以外のジャンルも話されるから、みんながスピーチを楽しみにしていた」としのんだ。

 社長就任時、「映画作りには情熱が必要」と語っていた裕介氏。人生を賭けて心血を注いできた作品たちは、今後も国民を楽しませ続ける。

★69年テレビドラマでデビュー

 端正な容姿で知られた裕介氏は、慶大在学中に京都のバーで友人たちと演劇論を交わしていたところ、たまたま居合わせた関係者からスカウトされて芸能界入り。1969年にNETテレビ(現テレビ朝日)系ドラマ「レモンスカッシュ4対4」で俳優デビューした。俳優、石坂浩二似のルックスで人気を集め、70年に同局系「たそがれに愛をこめて」で共演。東映のライバル会社、東宝製作の映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」(同年公開)のオーディションでは5500人の中から主役の座を勝ち取り、同社と年間約3本の出演契約を結んで話題になった。

岡田 裕介(おかだ・ゆうすけ)

 本名・岡田剛(つよし)。1949(昭和24)年5月27日生まれ。京都府出身。70年に俳優として「赤頭巾ちゃん気をつけて」で映画デビュー。76年の「吶喊(とっかん)」では主演とプロデューサーを務めた。88年に東映入社。「華の乱」「北の零年」など吉永小百合主演作を多数プロデュース。2002年に東映社長、14年に東映グループ会長、日本映画製作者連盟会長、日本アカデミー賞組織委員会名誉会長なども歴任。父は元東映名誉会長で11年に死去した茂氏。妹はコメンテーターの高木美也子さん(68)。