2019.12.3 10:00(1/2ページ)

【関西レジェンド伝】青芝フック(4)解散してわかったノックさんの凄さ

【関西レジェンド伝】

青芝フック(4)解散してわかったノックさんの凄さ

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 1968(昭和43)年に横山ノックさんが参院選に出ることになり、漫画トリオは解散。横山パンチは上岡龍太郎になって一人で、僕は赤井タンクと漫才コンビを組んだ。喜劇作家の香川登志緒先生に相談し、屋号を横山から青芝に変えました。横山ノックと横山フックでは「ノ」と「フ」の棒1本しか変わらないですからね。芝は踏まれても踏まれても伸びてくる。ただ、東芝とか青空とか、ようイジられましたわ。

 僕はね、アメリカに行きたいと考えてた。向こうでちょんまげ結って刀差してコントをやったら絶対ウケると思った。アメリカは50州あるでしょ、一発当てれば巡業して食っていけるらしい。でも、タンクは「僕は行かない」と。

 それでコンビを解消し、71年、芝居をやっていた、高校の4年後輩を誘って、青芝フック・キックを組みました。漫画トリオが解散になって、なんと俺には力がないんや、ノックさんにおんぶに抱っこの生活やったなって思い知らされてました。どん底のときに結婚もしたから、はい上がるために必死に努力しました。

 ボケに回り、夜も寝んとネタを考えた。ノックさんの教えで、枕元にノートを置いて、思いついたらすぐ書く。何冊も書いたね。横山エンタツ先生に教えてもらったこともあります。芸人は一目見ただけで覚えてもらわないとあかん、と。エンタツ先生は眼鏡とヒゲがトレードマークやった。僕もヒゲを生やし、パーマもあててアフロにした。

 あと、そのころに覚えたのが、ヨイショ。「俺ら芸人は、地べたをはって頭を下げてお金をもらう商売や。いくら売れようが、それを忘れたらあかん」というエンタツ先生の言葉が頭にこびりついてたからね、テレビに出れると思ったら、ヨイショや。「ヨイショのフック」と呼ばれた。

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