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【関西レジェンド伝】辻本茂雄(2)「アゴネタ」封印…仕事なくなった

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辻本茂雄(2)「アゴネタ」封印…仕事なくなった

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関西レジェンド伝
あごをイジられていた若手のころ。ツッコミの主役を目指していた

あごをイジられていた若手のころ。ツッコミの主役を目指していた【拡大】

 大阪・千日前の道具屋筋の電柱に「NSC5期生募集」の張り紙があったのを見て、なんか光って見えた。ちょうどダウンタウンさんがすごい人気でニュースになっていた頃。それまでお笑いにそれほど興味なかったけれど、ほかにすることもないし、いっぺん入ってみようかと思ったんです。

 家に帰って両親に「お笑い芸人目指してもかまへんかな」と打ち明けたら、親も「やってみたら」と言うてくれたんです。1986年4月に吉本総合芸能学院(NSC)入学。当時、なんばグランド花月は建設中で、稽古場はできたばかりの心斎橋筋2丁目劇場でしたが、その2丁目劇場で秋から番組を始めるから5期生は解散やと告げられました。入学してわずか4カ月ですよ。

 阪上司くんと漫才コンビ「三角公園USA」を組んでましたが、アメリカ村にあった古着店でアルバイト。僕からじゃないと買わないという客もいて、売り上げナンバーワンでしたね。香港での買い付けを任されたりしてた。このままいったら漫才師やなくて古着店の店長になってまうなという頃、阪上が店まで来て「しげちゃん、あきらめないで、もういっぺん漫才やろう」と言ってくれたんです。

 阪上がいなかったら、僕は今この世界に残れてない。本当に感謝している。だから、3年経って阪上が芸人をやめると言ってきたときも「ええよ」と答えたし、阪上以上の相方はいないから、漫才はやめることにしました。そして89年10月、吉本新喜劇に入団。ちょうど「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」が始まり、若返りを図って2丁目劇場の若手は全員新喜劇に入らされたんです。

 最初はズッコケだけです。そのうち、内場勝則さんや池乃めだかさんに「アゴ本くん」とイジッてもらえるようになって、出番が増えたんですよ。とはいえ、舞台に出てる時間は短い。だいたい、帯谷孝史さんとのニコイチで借金取りとかの役で、アゴネタがあって、去っていく。こういうのを「くいぬき」っていうんです。

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