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【関西レジェンド伝】原田伸郎(3)「千秋楽コンサート」で号泣

【関西レジェンド伝】

原田伸郎(3)「千秋楽コンサート」で号泣

特集:
関西レジェンド伝
1975年3月のコンサート。これで最後と思っていたので号泣したが…

1975年3月のコンサート。これで最後と思っていたので号泣したが…【拡大】

 僕と清水国明さんは「赤とんぼの唄」がヒットし、東京に進出しようと、有楽町のライブハウスでトワエ・モアさんの前座で歌いました。そこでニッポン放送の「オールナイトニッポン」のディレクターさんが聴いていて、おもしろいから出てくれないかと言っていただいた。

 のちに社長になる亀渕昭信さんは好きなことやっていいよという方針。ロッキード事件で大騒ぎのころ、米国のロッキード本社に電話して「セスナ機1機ほしいんだけど」なんてテキトーな英語で交渉したり、いろいろやった。ディレクターさんは始末書を書くのに忙しかったみたい。

 “裏番組”で、せんだみつおさんがパーソナリティをしていた文化放送「セイ!ヤング」をジャックしたこともありました。生放送中、僕がせんださんに電話してしゃべってる間に、清水さんがタクシーで文化放送に行って放送ブースに乗り込んだ。「のっとったー!」って。

 「オールナイトニッポン」は土曜の朝5時まで生放送。朝一番の山手線に乗ろうとリスナーに呼びかけた。僕らは有楽町駅から乗るから、みんなは最寄りの駅から乗って、と。すると、駅のホームにどーんと人がいる。次から次へと乗ってきて、僕たちを探して車両を移動。人が多すぎて、ついには窓ガラスがパーンと割れた。これは危険だと大塚駅で降りて逃げましたね。

 下ネタも放送した。ちんこの七不思議。えらくもないのにひげがある、とかね。「ガム島の旅プレゼント」と言っといて、ガム10枚とか足袋(たび)をプレゼントしたり。当時のリスナーはだまされたーと言って楽しんでた。今だったらコンプライアンスだかなんだかでだめでしょうね。

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