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【関西レジェンド伝】嘉門タツオ(4)「替え唄メドレー」許可とるのが大変!中井貴一の事務所が激怒

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嘉門タツオ(4)「替え唄メドレー」許可とるのが大変!中井貴一の事務所が激怒

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1990年代はこのビジュアルで活躍。ヒット曲も連発した

1990年代はこのビジュアルで活躍。ヒット曲も連発した【拡大】

 「ヤンキーの兄ちゃんのうた」で注目してもらい、第2弾シングルが1984年6月21日発売の「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」です。当時、テレビ朝日系で大人気だった「川口浩探検隊」をネタにした曲ですが、ちゃんと川口浩さんにも会って許可をもらったんですよ。川口さんは「実際にピラニアに指をかまれたんです」とおっしゃったので、歌詞を少し変えたりはしましたけどね。

 翌84年7月からはMBSラジオ「ヤングタウン」の火曜レギュラーに昇格。はじめは河合奈保子ちゃんと一緒でしたが、89年からは単独で。フジテレビ「笑っていいとも!」、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」など、多いときはテレビとラジオでレギュラーが14本ありました。

 ただ、長時間かけて八丈島の谷底に大量の廃車が廃棄されているのを調査するロケに行ったりしているうちに、有意義なことなのかもしれないけど、自分がやりたいことと違うんじゃないかと思ってね…。

 その頃、スタン・ハンセンの入場曲として知られる「サンライズ」などを世に送り出したロックバンド、スペクトラムのリーダーだった新田一郎さんが、バンド解散後、アミューズから独立して代官山プロダクションを興し、TOPSや爆風スランプをプロデュースしていました。もともと「-川口浩」のときから編曲してもらってたし、僕も89年7月にプロダクションとレコード会社を移籍しました。

 その後の20年間は、毎年2枚のペースでアルバムを出してました。たくさん曲を書いても没になって、CDとなったのは10分の1くらいかなぁ。そんな中から最大のヒットになったのが91年5月21日リリースの「替え唄メドレー」。許可をとるのが大変でね。

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