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【平成の真実(32)】平成23年3月11日「東日本大震災」渡辺謙が見た惨状と抱く感情

【平成の真実(32)】

平成23年3月11日「東日本大震災」渡辺謙が見た惨状と抱く感情

特集:
平成の真実
震災当時の写真を前に、被災地への思いを熱く語った渡辺。持参した水筒にはプロデュースカフェ「K-port」のシンボルマークである灯台が描かれていた=東京・渋谷区(撮影・戸加里真司)

震災当時の写真を前に、被災地への思いを熱く語った渡辺。持参した水筒にはプロデュースカフェ「K-port」のシンボルマークである灯台が描かれていた=東京・渋谷区(撮影・戸加里真司)【拡大】

 平成23(2011)年3月11日午後2時46分。マグニチュード9・0、最大震度7と、日本観測史上最大規模の地震が東日本を襲った。巨大津波が発生し、1万9630人の死者(復興庁HPより、災害関連死を含む)が出る大災害に。福島第1原発事故による放射能の脅威は、日本中に影を落とした。あれから8年。震災直後から支援を続ける俳優、渡辺謙(59)が東北の現状、そして今の日本に抱く思いとは-。(取材構成・古田貴士)

 震災の起こった時間、渡辺は米ロサンゼルスから帰国する飛行機の中にいた。

 「結局、成田空港では降りられず、急きょ(石川県の)小松空港で降りることになって」。到着したロビーのテレビで、緑あふれる豊かな街が津波にのまれていく光景を目にし、「がく然とした…」。

 東北は、主演したNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(昭和62年)をはじめ、何度も撮影で訪れた思い入れの強い土地。加えて平成7年の阪神大震災では、急性骨髄性白血病を患い療養中のため、何も支援ができなかった後悔があった。

 「いま自分にできる何かをやらなくては」。すぐに被災地支援サイトを立ち上げ、被災者を勇気づけるメッセージを発信。交通網が復旧した4月から22カ所の避難所を回った。だが、そこに広がっていたのは映像以上に衝撃的な現実だった。

 「本当に何もなかったんですよ。さまざまなものが津波で流されてしまっていて…。ニュースでは、がれきの山と言っていましたが、僕はがれきだとは思えなかった。日常生活に必要なものがいっぱい転がっていたんです。復興に10年はかかると思いました」

 だからこそ、何があっても最低10年は支援を続けようと誓った。平成24年1月には、スイス・ダボスで行われた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加。東北の現状を英語で世界に向けてスピーチした。

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