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【平成の真実(6)】平成3年、ジュリアナ東京とバブル崩壊

【平成の真実(6)】

平成3年、ジュリアナ東京とバブル崩壊

特集:
平成の真実
お祭り騒ぎでにぎわった「ジュリアナ東京」。左のお立ち台には若い女性があふれた=東京・芝浦(1992年12月12日撮影、一部画像を処理しています)

お祭り騒ぎでにぎわった「ジュリアナ東京」。左のお立ち台には若い女性があふれた=東京・芝浦(1992年12月12日撮影、一部画像を処理しています)【拡大】

 異常ともいえる土地や株価の高騰で沸いたバブル景気が平成3(1991)年、一気にはじけた。時を同じくして誕生したのが「ジュリアナ東京」。ウオーターフロントと呼ばれた運河沿いの倉庫を改良したこのディスコには、連日ワンレン、ボディコン姿の女性が押し寄せ、バブルの終焉を告げるあだ花の如く、お立ち台で狂喜乱舞した。ディスコの女王、荒木久美子が、そのド真ん中で見たものとは。(取材構成・森岡真一郎)

 「バブルでもうけた金持ち男性のたまり場でした。女性は若くてきれいなら理由もなくモテた。片道の交通費さえあれば踊って楽しんで、ごちそうになって、ブランドもののバッグや帰りのタクシー代までもらえた。私もその一人でした」

 ハウスミュージックが鳴り響く中、若い女性たちが大きな羽根のついた扇子(通称・ジュリ扇)を振りかざし、お立ち台で踊りまくる。全員、体のラインがはっきりと出るボディコンシャス衣装にワンレングスヘア。その代表格が荒木だった。

 ジュリアナ東京は1991年5月、東京・芝浦に開業。都心ではマハラジャなどの巨大ディスコに陰りが見え、土地の転売や一大消費ブームが急激に減退していた。彼女は、お立ち台人気を背景にテレビ界へ進出し、荒木師匠の愛称で誰もが知る存在に。「テレビのギャラより何より、人の財布で遊ぶ方が楽しかったですね」と振り返る。

 「ただ、バブルがはじける頃は、人のまねばかりしたファッションがあふれ、個性が埋没していました。お立ち台の上では落とし合いのけんかをしたり、突然オッパイを出したりする子も出てきた。大切なのは踊りを愛する節度を持った遊び心なのに」

 94年8月に閉店。警察から風紀の乱れを指摘されたのが引き金だった。前年の93年秋、バブルは完全に崩壊。荒木は時代の暗転を目の当たりにした。以来、日本にはバブルのような好景気は訪れていない。

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  • 現在は起業家育成のプロとして活躍する折口氏。「バブルは人にやる気があった」と熱弁=東京・大手町(撮影・大橋純人)
  • ジュリアナで踊っていた頃の荒木
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