【平成の真実(4)】
優作さんから贈られたお土産を眺めながら、思い出を語る大木氏=東京・下北沢【拡大】
同作にかける思いは、優作さんが1977年頃から通い詰めていた東京・下北沢のジャズバー「LADY JANE」のオーナー、大木氏もよく知っている。故人から同作のオーディション合格の吉報とともに「ぼうこうにこぶができて、医者から手術するか『ブラック・レイン』を取るか決めろと言われた」と打ち明けられたが、「深刻な様子はなく、がんだとは思わなかった」。
会えば、映画の話ばかり。89年1月、撮影現場に招待されたロスのサウナで「血尿が出た」ともらしたときも、同9月に滞在先のタイで薬を飲んでいたときも、つらそうな姿は見せなかった。最後に会った同21日の優作さんの誕生日でも病気のことは一切語らず、「『日本の俳優としてアメリカに風穴を開けるんだ』と、映画にかける思いを話していました」。
情熱は継承されている。今月30日に有村架純とのW主演映画「かぞくいろ-RAILWAYS わたしたちの出発-」の公開を控える國村は「『真ん中をやるときは何もするな』と教わったので、実践しています。松田優作という役者が伝えたかったことは、受け取った人たちがメッセンジャーとして(次の世代へ)つないでいくもんやと思うんですよ」。優作さんの遺志は、これからも生き続ける。