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【関西レジェンド伝】池乃めだか(2)コンビ解散、改名…名付け親は三枝さん

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池乃めだか(2)コンビ解散、改名…名付け親は三枝さん

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関西レジェンド伝
漫才コンビ「海原かける・めぐる」は上方演芸大賞の新人賞も受賞したが、76年に解散

漫才コンビ「海原かける・めぐる」は上方演芸大賞の新人賞も受賞したが、76年に解散【拡大】

 音楽トリオ「ピスボーイ」の舞台は主にヘルスセンターや田舎の市民会館。劇場なんて出られなかった。1967(昭和42)年の暮れ、1年3カ月で解散しました。ギター担当と正司玲児さんが意見が合わなくなって。玲児さんに俺と漫才やらんかと誘われたけど、断った。とりあえず芸能界入りの際にお世話になった海原小浜師匠に報告しに行った。

 これからどうするんやと聞かれたので、町工場にでも働きに行きますと答えたら、「せっかくこの世界に入ったのに、もったいない。私のかばんでも持っていたら、なにか見つかるやろ」と言ってくださって、弟子にしてくれました。

 そんな折、小浜師匠の息子さんの海原かけるとコンビを組むことになったんです。かけるの相方のめぐるがやめてしまったので、代わりをやってくれと頼まれ、歌謡ショーの前座に出ました。出番は20分くらいやったかな。突然のことで芸名も「めぐる」を引き継いで。この一回で終わるんだと思っていたら、次の仕事が入り、また次の仕事が入り…で、なし崩し的に8年半もやった。

 翌68年、ケーエープロダクションが設立され、松竹芸能から若井はんじ・けんじ、横山ホットブラザーズ、そして海原お浜・小浜も移ったので、僕らも移籍しました。ただ、出られる劇場は梅田にあったトップホットシアターしかなかった。僕が25歳のときから5年間。そして30歳で吉本興業に移籍しました。

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