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【関西レジェンド伝】赤井英和(2)高2の国体で高校王者破り、ボクシング俄然やる気に

【関西レジェンド伝】

赤井英和(2)高2の国体で高校王者破り、ボクシング俄然やる気に

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 浪速高校の1年のときはまだボクシングに本腰が入ってなかった。電車内を巡回して、足を投げ出してる不良がおったら蹴り飛ばしとった。のちに有名になるボクシング3兄弟の父の兄が今宮中学の1年後輩で「赤井なんかいつでも倒したるわい」とイキッてるというのが耳に入ったので、乗り込んでいってボコボコにしてやった。先生も生徒も見てる前でしたわ。

 そんな生活だったから、高1の終わりには留年が決まった。年下と机を並べるのはイヤやから「高校やめる」と言いました。すると、体育の担当でボクシング部の顧問だった戸田久主先生が家に説得に来てくれた。

 「甘えるな」と両親の前でぶん殴られましたが、「ボクシング続けたらええ。俺が面倒みるから」と言ってくださった。約束どおり、3年連続で担任をしてくれた。のちに、映画「どついたるねん」ではレフェリー役をお願いして出演してもらいました。

 高2の青森国体(1977年)では大阪府代表は佐賀県代表と対戦することが決まった。今宮高の選手が神林拳闘会の津田博明さんというトレーナーに教わっていると聞き、弟子入りしました。のちのグリーンツダジムの会長です。公園のジャングルジムにサンドバッグを吊るしてマンツーマンで練習。教えられたのは「左でたたけ」だけ。1カ月半、ひたすら左ストレートばかり打ってました。

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