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【関西レジェンド伝】正司歌江(2)妹・照枝とコンビ「天才少女漫才」

【関西レジェンド伝】

正司歌江(2)妹・照枝とコンビ「天才少女漫才」

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関西レジェンド伝
次女の照枝(左、当時は照江)と漫才コンビを結成。男の子の格好で舞台に立った

次女の照枝(左、当時は照江)と漫才コンビを結成。男の子の格好で舞台に立った【拡大】

 照枝との漫才が人気になりましたが、なにしろ戦時中。京橋に大阪砲兵工廠(こうしょう)があって、兵器を製造していた。働く方は産業戦士なんて呼ばれていまして、そこへ慰問に行きました。

 当時はお給料もすごくもらっていて、月に700円。大阪府知事と同じくらいでした。両親は今里に家も買った。そして、ばくちばかりやってましたね。母は結核で、血を吐きながら壁にもたれてオイチョカブを。そして、終戦の年の2月に亡くなった。私が16歳になる前です。

 それからが苦労続きでした。一座にいた人と最初の結婚をして19歳で出産。父に反対されて、芸人やめると飛び出しました。難波にあったキャバレー「パラマウント」で働いたことも。「59番」が私の番号。よう売れましたね、歌うまいし。専属の歌い手さんがいるんですが、男性客から私に指名が入る。歌い手には嫌がられましたけどね。キダ・タローさんが「パラマウントの歌」を作曲したときも、キダさんの伴奏で私が歌っていました。

 その後、父がこいつと組めと連れてきた漫才の相方がひどい男で、えらい目に遭わされました。ギャラは独り占め。先にお金をもらうと全部使ってしまう。舞台で気に入らないことがあると、どつかれる。そのうち、人にだまされて、富山で芸者をすることに。大変な日々でした。

正司歌江(しょうじ・うたえ)

 1929(昭和4)年8月13日生まれ、89歳。北海道出身。56年に姉妹で音曲漫才トリオ、かしまし娘を結成。81年に活動休止し、女優として活躍。

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