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【関西レジェンド伝】ゼンジー北京(2)中華料理店の台湾人店員まねて中国風スタイルに

【関西レジェンド伝】

ゼンジー北京(2)中華料理店の台湾人店員まねて中国風スタイルに

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関西レジェンド伝
中国風スタイルになった頃。右は弟子のゼンジー一億

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 キャバレーのステージで経験を積んで、1963(昭和38)年のこと。当時、道頓堀の角座といえば大劇場だった。松竹のえらいさんが10人ほど並ぶ前でネタを披露して、使ってもらうようになった。なにしろ、手品なのに持ち時間の半分以上がおしゃべり。おもろいやつがおると思ってもらえたんでしょう。

 そこまでいくのが大変でした。先輩のマジシャンはたくさんいらっしゃるし、自分は特別すごい技術があるわけでもない。なにか変わったことやろうと思って、おしゃべりをたくさん入れ、お客の知りたがってる種明かしをやった。「しゃべったらアカン、教えたらアカン」という、わたしらの世界の2大タブーをあえてやったんです。

 当時所属していた事務所の1階にあった中華料理店が台湾出身の方の経営でね、店員さんが「ナニスルカ」と注文をとりにくるから、まねして「ヤキメシニスルヨ」なんて話していたんです。この話し方を舞台でやってみたら、お客さんにウケた。これや、中国人になりきってみようと、衣装もそろえて、やり始めました。

 「ハイ、ワタシ中国ハ広島のウマレアルヨ」「チョット、コソコソヤルヨ」「ナニ、ワラッテルカ」「コレ、ムズカシイ。デキン」とか好き勝手にしゃべっても、おもしろがってくれる。芸名も「ゼンジー渡辺」から「ゼンジー北京」に変えました。

 そんな手品をやるやつはいないから、当時できたてのテレビの寄席番組にも呼ばれるようになった。中でも、朝日放送が土曜の昼に放送してた「道頓堀アワー」は角座からの中継。いい勉強になりました。種明かしをしているようで、最後にどんでんがえし-というスタイルができてきた。

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