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北島三郎次男・大野誠さん孤独死、「おじゃる丸」OP曲など作詞作曲

北島三郎次男・大野誠さん孤独死、「おじゃる丸」OP曲など作詞作曲

父譲りの力強い歌声を響かせていた大野誠さん。北島のショックは計り知れない…(1988年11月6日撮影)

父譲りの力強い歌声を響かせていた大野誠さん。北島のショックは計り知れない…(1988年11月6日撮影)【拡大】

 突然の死だった。

 北島の長男で所属事務所社長の大野竜氏(54)によると、誠さんと1週間ほど音信不通となったため、3日午後9時過ぎ、調布市の自宅兼スタジオへ。服を着たまま亡くなっていた誠さんを発見し、警視庁調布署に届け出た。周囲には譜面など仕事の書類があり、死後数日以上経過していたという。

 誠さんは所属歌手の楽曲制作や著作権管理を手がける北島音楽出版の役員も務めていた。独身で1人暮らし。竜氏は「去年から体調がよくなかった。肝臓が悪かったようだが、疾患があったという話は聞いていないし、入院もしていなかった」。ただ、かなりやせていたという情報もある。

 竜氏が最後に会ったのは先月10日過ぎ。「そのときは元気だった」が、22日に電話で話したのが最後になった。通夜は7日、東京都内で家族だけで営まれ、北島が喪主を務めた。8日も密葬で葬儀・告別式を行い、後日、お別れの会を開く。

 誠さんは5人兄弟姉妹の上から2番目。もともとミュージシャンで、ロックバンド「1st BLOOD」のリーダー、MAKOTOとしてボーカルを担当し、1988年8月に「American Dream」でデビュー。バンド解散後は「大地土子(だいち・とこ)」のペンネームで作詞作曲活動をしてきた。

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  • ロックバンドの新人ボーカルとしてデビューした当時の大野誠さん(右)。父、北島も激励に駆けつけていた(1988年8月26日撮影)
  • 1stBLOODのアルバム「今、BEATが聴こえる。」のジャケット写真。誠さんは音楽家としても才能豊かだった
  • 北島家家系図
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