【ヒューマン】
後に関ジャニ∞のメンバーとなる同い年の渋谷すばる(36)や横山裕(36)らとテレビ番組に出ても、「大きい声で2人のコメントをなぞっているだけだった」と苦笑。「どうやったら目立てるかと考えたときに、周りはボケばっかりでツッコミがおらへんなと」と自分の立ち位置を見い出した。
関西ジャニーズJr.の中心となり、02年に関ジャニ∞のメンバーに選ばれたが、すぐにはブレークせず。地元の大阪公演が満席にならないときもあった。ジャニーズの先輩、SMAPや嵐の背中が遠い中、体を張ったお笑いで関ジャニは独自路線を確立。アイドルらしからぬぶっちゃけトークで東京進出を牽引したのが村上だった。次第に巧みな話術でソロのMCも舞い込んで来るようになった。
自信を深めたのは、ビートたけしとの出会いだった。15年に特番で初共演した際、たけしから「いずれ、紅白の司会をやるんじゃないの?」と期待された。「リップサービスと思ったけど、たけしさんが言うてくれてはるということは、司会の適性があるのかなと。腹くくってやらなあかん」と自覚が芽生えた。
「前までは、出演者のコメントがオンエアで使われているのに、その前の僕の振りがカットされていると、『なんでやねん』と思っていたけど、今はカットされていても、きちんとパスができたからいいと」と自分本位から脱却した。