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【二十歳のころ 大西卓哉(3)】最後の最後の仕事…パイロットの道へ

【二十歳のころ 大西卓哉(3)】

最後の最後の仕事…パイロットの道へ

特集:
二十歳のころ
ANA時代の大西氏。パイロットとしてB767シミュレーターで訓練を受けた (写真はJAXA提供)

ANA時代の大西氏。パイロットとしてB767シミュレーターで訓練を受けた (写真はJAXA提供)【拡大】

 大学(東大工学部・航空宇宙工学科)3年からのめり込み、物づくりの楽しさを学んだ「鳥人間コンテスト」ですが、ここで初めてパイロットのすごさも知りました。

 「鳥人間」のパイロットって、ものすごくきついんですよ。動力部門ではペダルをこいで、人の力で飛行機を飛ばす。これは思っている以上に大変なことで、一般の人だったら負荷のかかるなかで2分間はもたない。

 元競輪選手をつれてきていたトップチームもあったほどです。体重も軽くなきゃいけない。僕らの時代は50キロに満たない仲間がいて、彼をパイロットにして筋力トレーニングばかりさせていました。体重制限があって、自分はなれませんでしたが、パイロットは一年間汗水たらしてつくりあげた機体を実際に飛ばして、結果につなげるのが最大の役目。最後の最後の仕事。そこにひかれましたね。それが就職にもつながっていきます。

 当時、航空会社の採用で自社養成パイロット制度というものがあって、ちょうど募集していたんです。自分の会社で育成して旅客機のパイロットにするもので、可能性のひとつとして受けたら、運よく全日本空輸(ANA)に採用していただいた。駄目だったら大学院で航空宇宙工学の勉強を続けるつもりだったから、就職活動はパイロットだけでした。日本航空(JAL)にも応募しましたが、試験が始まる前に当年度の採用を凍結するという連絡があって受けられませんでした。

 宇宙飛行士も、いよいよ最後の最後に乗り込んで仕事をする共通点があって、「鳥人間」からつながるターニングポイントだったかもしれない。理論の世界ではなく、現場の仕事のおもしろさっていうのかな。

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