2016.10.6 11:00

サブちゃんが愛される理由/ショナイ業務

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北島三郎

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 北島三郎が、80歳、傘寿の誕生日から一夜明けた5日に東京都内で芸道55周年パーティー「感謝の宴」を開いた。

 会場には演歌歌手仲間や中村玉緒、小林旭、里見浩太朗、みのもんたら芸能人をはじめ、青木功、星野仙一、武豊、安倍晋三首相らそうそうたる顔ぶれが集まり、思い出話に花を咲かせた。

 手足のしびれなどを伴う頸椎(けいつい)症性脊髄症のため入院中の北島は、東京都内の病院から車いすを使って駆けつけたが、出席者の祝辞の際には時折、支え台につかまりながらも、しっかりと自分の足で立ち、感謝の意を示した。

 回復しているとはいえ、普段は歩行も困難な状態。礼儀を重んじる北島の姿勢に、ただただ頭が下がった。3時間以上の長丁場となったパーティーは互いに感謝の言葉を交わし合う、心温まる、すばらしい宴だった。

 芸道55年。第一線で走り抜ける中では、人知れない苦労もあったことだろう。それでも、常に心にあったのは不満よりも支えてくれる人々への感謝。そんな北島の思いが感じ取れる宴だった。

 昭和30年。歌手を夢見て上京するため、青森-函館間をつなぐ青函連絡船に乗った当時を、北島が振り返った。

 「あそこを渡るときに私は故郷を捨てました。大事な親や兄弟、友も。『帰ってくるときには、ちゃんとした夢をしっかりとつかんでこい。それまで帰ってくるな』といわれて津軽海峡を渡りました。いま思うと、私を運んでくれた津軽海峡、青函連絡船に一生忘れられない、忘れてはいけない大事なものを置いていったような気がします」

 並々ならぬ覚悟で闘ってきた北島は「人は生きているのではなく、生かされているんだ」と説き、「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、日本には演歌があると心に秘めて生きてきました。55周年は終わりじゃない。始まりです」。日本音楽界の未来を憂い、前を向く。

 壇上では恩師である作詞家、故・星野哲郎氏が生前遺した、こんなメッセージが流れた。

 「激流の中にどっかりと座り込んだ岩石(いわ)。僕は北島三郎をそのように見る。どんなにめまぐるしく流れが変わっても、それにこびを売ることもなく、尊大に構えることもない。『僕はいつもここにいます。ここが好きだからです』とでも言いたげに、ただ黙々と立ちはだかる。

 巷を時代の奔流する川と見れば、演歌、世論、うたかたのようなもの。奔流とともに走る格好の良さがない限り、いつも市場からは疎外される。そのくせ、長い将来のことになると、まず間違いなく残るものとして北島の名があがるのは痛快な矛盾である。

 歌い手に年齢はない。彼はそれをこれからゆっくりと実証してくれることだろう。激流の中にどっかりと座り込んだ岩石のように」

 北島の生き方を見た気がした。(まろ)

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