2014.12.2 05:07(3/3ページ)

寂しすぎる…菅原文太さん逝く、健さんに続き昭和の巨星が天国へ

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとのジョイント・コンサートで、手にギターを持ったつなぎ姿で熱唱する菅原文太=1975年7月24日撮影

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとのジョイント・コンサートで、手にギターを持ったつなぎ姿で熱唱する菅原文太=1975年7月24日撮影【拡大】

 ただ、訃報を受けてこの日、取材に応じた翁長知事によると、「文太さんは車いすを使っていた。『腰を痛めた』と言っていた」。痩せたようにも見え、12月7日に埼玉県内で行う予定だった講演は体調不良を理由に11月21日にキャンセルした。

 220本以上に出演した映画スターだが、実は下積みが長かった。58年に本格デビューし、67年の東映入社後は「網走番外地 吹雪の斗争」(67年)など健さん主演作にも出演。73年に「仁義-」が大ブレークして主演スターとなった後、75年の「神戸国際ギャング」で健さんと本格共演を果たしている。

 義理と人情に厚いトラック運転手をコミカルに演じた75年からの「トラック野郎」シリーズも大ヒット。80年にNHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演、01年のアニメ映画「千と千尋の神隠し」では釜爺(かまじい)役の声優を務めた。「朝日ソーラー」のテレビCMでは「朝日ソーラーじゃけん」と、「仁義-」の主人公風の広島弁ゼリフが話題となった。

 私生活では65年に文子さんと結婚し、長男で俳優だった加織さんら1男2女の父に。ただ、01年10月に加織さんを踏切事故で亡くす悲劇もあった。11年の東日本大震災を受けて、12年2月に俳優活動を控える“休業宣言”を発表した。

 お別れの会などの開催は未定。私生活もスターのオーラを放ち謎めいていた健さんに対し、普段はぼくとつとした印象で農業や政治、選挙にも積極的に携わった文太さん。対照的な2人だが、昭和の映画界を彩った大スターがほぼ同時期に亡くなるとは…。

 あまりに寂しすぎる。

菅原文太(すがわら・ぶんた)

 本名同じ。1933(昭和8)年8月16日生まれ、仙台市出身。仙台一高から早大に進んだが中退。58年に新東宝にスカウトされ、同年「白線秘密地帯」で本格映画デビュー。72年の「人斬り与太 狂犬三兄弟」、73年からの主演映画「仁義なき戦い」シリーズ、75年からの「トラック野郎」シリーズなどが大ヒット。79年の「太陽を盗んだ男」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を獲得した。2012年に俳優活動の“休業”を宣言したが、ラジオパーソナリティーやナレーター、声優などの活動は続けた。1メートル78。

(紙面から)