2014.10.15 15:30(3/4ページ)

【軍事のツボ】日本軍がかかわったベトナムの独立戦争

【軍事のツボ】

日本軍がかかわったベトナムの独立戦争

特集:
軍事のツボ

 ベトナム、カンボジア、ラオスの現地人は軍事面でフランス軍や英軍に太刀打ちできない。そのギャップを埋めたのが、部隊から離脱した残留日本兵だ。深く関与していたことを示す一例として、ベトミン軍の士官学校がある。

 フランスからの独立を求めて戦った第1次インドシナ戦争が始まる直前の1946年6月に、ベトナム中部クァンガイに「陸軍中学校」が設立されたが、これは残留日本兵の発案で、教育も残留日本兵によって行われた。教官として、中原光信氏や谷本喜久男氏らの名が知られている(いずれも故人)。

 その反対にベトミン軍など独立勢力の討伐に日本軍が利用されるということも起きている。ベトナム南部には、本国から兵力を派遣する余裕のないフランス軍に代わって英印軍第20師団が45年9月に進駐したものの、独立勢力を押さえ込むには兵力が不足していた。

 そこで9月末に師団長のダグラス・グレーシー少将が、南方軍総司令官、寺内寿一元帥に「治安維持の責任は日本軍にある」としてベトナム人鎮圧を命じた。この命令の法的根拠は8月末に連合国軍東南アジア司令部と南方軍の間でかわされた「ラングーン協定」とされる。同協定では正式降伏までの間、東南アジア地域での治安維持には日本軍が責任を持つなどとされていた。

 しかし、日本が降伏文書に調印して正式に降伏したのは45年9月2日。その日以降はラングーン協定の枠外になるはず。さらにハーグ陸戦条約では、捕虜に労働をさせることは認めているが、作戦行動に関係しないことと規定されている。もちろん同条約は日本も英国も調印・批准し発効している。つまりラングーン協定そのものの有効性にも疑問符がつくのではないか。

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